出岡佳子さん(昭和5年生まれ、白子地区在住)・出岡一男さん(昭和4年生まれ、白子地区在住)

215 ~ 215

実家が地主

 実家が地主をやっていて、3町の田を持っていたんです。戦後の農地改革では3町持っていた土地の内、1町を残してあとはみんな取り上げられたんですよ。小作人は貧乏から金持ちまではいかなくても生活が良くなったけど、地主は大打撃だったんです。それまでは毎年小作人の人達が収穫した新米が蔵の中へ運ばれるのを目にしていましたけど、終戦直前は供出がきびしくて、白米ばかり食べることはできなくて、サツマイモやジャガイモ、カボチャなんかを食べてました。

 地主っていうと百姓のリーダーみたいなものでしょ。自分らは働かんでも百姓達が米を納めに来る。お茶を立てたり、地主の子はお嬢ちゃん、お坊ちゃんと呼ばれたものですけど、農地改革後は今まで田んぼに一切入らなかったのが、自分達で働かなければならなくなり、昭和27、8年頃に耕運機が出てくるまでは大変でしたね。


戦中・戦後の食

 戦時中は、他人の家の畑の大根を抜いて盗ってきたり、柿をもいできたりもしたけど、あんまり怒られんかったですね。見つかっても「コラー」って言われるくらいで。その頃はみんな大変でしたから、学生も大変だろうって大目に見てくれてたんでしょうね。戦中より戦後の方が食事はみんな困ってましたね。戦後は米穀台帳ってのがあって、配給の米をもらう時にハンコを押してもらうって風になってました。配給の時はズラーっと人が並んでましたな。配給はあったけど米が少なくて、カボチャやサツマイモを混ぜて食べてましたわ。他には、米ぬかをフライパンがなかったんで鍋で炒って、みんなでスプーンで食べたんですけど、それはおいしかったですね。

[小川真依]