男性(昭和6年生まれ、河曲地区在住)

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小学校の思い出

〔赤トンボ同士の衝突〕

 小学校の時は河曲小学校へ行ってましたけど、朝礼の時に1年生やったから、ぽーっと空見ていて。「赤トンボが飛んどるなぁ」と思っとったら、赤トンボ同士が衝突したんさ。2機飛んどったもんで自分ら同士で衝突して、神戸の石橋の近くへ墜落、家が燃えたもんで鈴空がモダンな家を2軒、新しく建てたそうです。

〔スパイ疑惑〕

 小学校へね、ミイラを持ってきてね、講堂のステージの上に綿を腹に入れたミイラを1年生より順番に見せるようなことをやってました。男が帰った後に憲兵が馬で乗り付け、男がいないので捜しに行った。スパイじゃないかってことでね。結局、小学生も数年後には兵隊になって出てくるに決まっとるから、何人くらいおるかってことを調べるために、写真を撮っとったとかなんとか言っとったな。聞いただけですので、定かではないですけど、そういうこともありました。


海軍工廠へ学徒動員

 学徒動員で海軍工廠へ行って、ちょうど2階建ての木造の寮へ入れられたんです。僕らは第二機銃っていう機銃工場へ行って。寮におったんですけど、途中で家からの通勤になりましてね。近くの者だけだったと思うけど。工場にも、みんな兵隊へとられとってもう熟練工がおりませんやろ。作業はほとんど学生ですので、おしゃかばっかり作っとる。海軍工廠から家へ帰ってくるのは、もう夜の12時くらいでしたね。朝の早いのと夜との交代制で、僕らは夜やったからね。友達が2人おったから、いつでも一緒にてくてく歩いて通ってましたけど、半時間では家まで帰れませんからね。

 楽しみといったら、僕は食べることに関してですね。そりゃみんな腹減りますよね、食べるものないんやで。寮におる時はね、僕の在所の人が炊事場にいたもんで、その人に「入口のすみに飯缶におこげを入れて置くから」と言われた。夜、仕事終わったら、炊事の連中はみな帰るやん。それで、見に行くといつもちゃんと、きちっと置いてあった。それを僕はそぉと取りに行って、部屋へ持って帰って来てさ、自分の部屋の者だけで食べた。こげでも何でも食べるものやったらいいでな。食べ終わったら、また缶持ってって入口に置いて来る。これは助かりました。それと、寮に居た時、購買部に務めておる知人に、お袋がついた餅とか食べる物を頼んで、持って来ていただいた。それも同じ部屋の者だけで食べたね。食べるものないのは1番困るでな。みんな畑行ってイモ取って生でかじってな。


電波探知

 海軍工廠は神戸中学校の武道場を工場にしたんですよ。工場疎開ってやつ。旋盤やらみな入れてね。こちらへ工場が出来てからは、中学校の校舎の西に、2階建ての宿舎があったんですわ。そこの近くの所で、鈴空が電探と思うがパラボラらしきものを作った。道場のすぐ裏やから僕らもよう抜け出して見に行くと、電探をやっとって「今、潮岬にB29が来たよ」って兵隊が教えてくれよったな。そこには兵隊が常駐しとるからさ。抜け出すっていっても、大したことじゃなくて。すぐ近くやもん、トイレ行くのと一緒やろ。よく見に行ったもんね。

 その電探やっとる所でね、大きな鍋で牛肉炊いとったんです。その肉はみんな特攻で行く連中に食べさせとるらしいね。食べるところは見なかったけどね。寮におったんかな、どうかわからんけどね。僕が見た兵隊は5,6人くらいやけど、怖いとかそんな気持ちは全然なかったな。向こうも気軽に話してくるしね。そんで、兵隊にちょっと「肉ちょうだい」って言っても、「これは駄目」って言われてね。まだ中学生で子供やから。気軽でしたよ。兵隊連中はいろいろ説明してくれましたね。


陸軍少佐との交流

 僕の家の西側に家の畑があって、その向こうに空き家があって、そこを借りて陸軍の副隊長がね、家族で住んでたん。主計少佐やったかな。その人は、空襲が激しいから家の畑の所へ「防空壕掘ろうや」ってね。鈴鹿市は実際は直接の空襲はなかったけどな。それで防空壕を掘ろうってことで、軍隊から兵隊を連れて来てね、防空壕掘ったんです。僕らは隣近所みたいなもんやから、話もして。小学校の時は、陸軍の131部隊へ行きよったん。河田町の河田山っていう山に練兵場を作って軍隊があった。部隊の芸能大会に招かれていくと、門に衛兵がいてね。そこで一旦止められるがすぐ連絡して通してくれる。衛兵が中まで案内してくれてチョコレートやバナナなど貰った。兵隊の中には色々な芸人がいるから看板の絵や観劇などはよかったね。帰って来てね、貰ったチョコレートを妹達にあげてたりしてました。機密があるから一般の者は絶対に入れやん。僕は隣に住んどった人の関係で入れてもらった。その人も終戦まではいて、終戦になったら出てったな。


終戦の日

 終戦の日は、僕は夜勤やったんさ。だからまだ寝とって、玉音放送は聞いてない。そして昼過ぎやったかな、出勤したらみんながザワザワしとって。何や何やと思ったら「終戦になった」と。それからしばらく経ったら「みんな自殺用のピストル作れ」って「図面を今から渡すで」って。それで待っとっても、図面来やへんもんでね、みんな終戦で所在ないし、「ピストル作るより、先にドス作ろうか」って言ってね。やすりの長いやつを研磨で研いでさ。そいつをみんな持って、アメリカ兵が進駐して来るで、それでやっつけようって。結局は中止になった。


学校生活の変化

 戦争が終わったら、先生の態度がコロっと変わっとったな。戦時中はどんだけどつかれたか、わからん位やられとるわね。工廠へ行っても罰加えられると、尻を何回って叩かれたり、バケツへいっぱい水を入れてこやって(腕を地面と水平に出して)持って、下がってくと叩かれたりしとった。

 学校では、予科練とか軍隊へ行った上級生らが、終戦になってみんな帰って来たわけ。それで、軍隊でたいがい絞られてきた者達が帰ってくるでさ、今度は下の連中を絞り返すわけ。いじめみたいなもんやさ。そういうことは確かにあったよ。僕らより上の学年やでね、予科練行ったりしたのは。

[小川真依]