伊勢新聞データベース

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No 刊行年月日 西暦 伊勢新聞の【見出し】内容 掲載 地域
1 昭和13年1月7日 1938 【仮令両親の訃にも悲しむ秋でない】出兵中の鈴鹿郡井田川村出身の野間善一上等兵に母の死が告げられた。 夕刊 2面
2 昭和13年1月8日 1938 【背に部下の遺骨7つ冥福祈りつゝ弔ひ合戦】陣中の鈴鹿郡石薬師村出身天野郷三中尉から、6日、高田本山参事□源眞亮師に宛てに書信が寄せられた。 夕刊 2面
3 昭和13年1月12日 1938 【陣歿3勇士に祭粢料を下賜】河芸郡栄村出身の池田伊平輜重特務兵他2名の陣歿3勇士に天皇、皇后両陛下から祭粢料を下賜されたので、11日津連隊区司令部から伝達した。 夕刊 2面
4 昭和13年1月12日 1938 【誉れの戦死者 高津瀬 北野一等兵】鈴鹿郡高津瀬村出身北野浅吉一等兵は10日陸軍病院で名誉の戦傷死を遂げた。 夕刊 2面
5 昭和13年1月12日 1938 【21の遺骨を抱いて南京城頭、紅涙下る】鈴鹿郡国府村出身の森英生中尉から、11日、母校教諭金子実氏に宛て陣中手記を寄せて来た。 日刊 3面
6 昭和13年1月13日 1938 【戦死の報があれば貯金を学校へ寄付】河芸郡栄村出身太田文尚上等兵の兄一良氏は、遺言で弟に貯金を託した。兄戦死の報に遺志をつぎ、小学校の教育費として50円、在郷軍人分会へ30円を寄付した。 夕刊 2面
7 昭和14年1月14日 1939 【鈴鹿航空隊参観許す】鈴鹿海軍航空隊では13日、隊内の参観を許し、小中学生や一般市民などが押しかけた。 夕刊 2面
8 昭和13年1月18日 1938 【せめてお針でも乙女の赤心】河芸郡神戸町出身の三三連隊の某くんは○○病院で加療中の傷病兵慰問にと營内から匿名で5円を寄託。 夕刊 2面
9 昭和13年2月5日 1938 【誉れの戦死者】河芸郡河曲村出身の藤田助一郎一等兵が江南での激戦で名誉の死を遂げた。 夕刊 2面
10 昭和13年2月5日 1938 【勇士の公葬】江南の戦いで死を遂げた勇士。河芸郡一ノ宮村出身の小川正義伍長。 夕刊 2面
11 昭和13年2月5日 1938 【白衣の凱旋 武勲の17勇士】南京攻略戦にて名誉の戦傷、又は不幸病を得た野田部隊勇士17名は心ならずも故国に凱旋療養することとなった。その17人の内1人が鈴鹿郡深伊沢村出身の谷口吉元氏。 夕刊 2面
12 昭和13年2月8日 1938 【井原中尉ら8勇士白衣の凱旋】南京紫金山の激戦で名誉の負傷をした井原中尉以下八勇士は6日朝衛戊地陸軍病院に凱旋、療養することとなった。八勇士の1人に鈴鹿郡庄内村出身の山田正一氏。 夕刊 2面
13 昭和13年2月8日 1938 【名誉の戦傷死】江南戦にて活躍した鈴鹿郡国府村出身の伊藤健次郎一等兵は○○陸軍病院で名誉の戦傷死を遂げた。 日刊 3面
14 昭和13年2月9日 1938 【満州移民をつくる 分村計画実行へ】県経済更生課では発展の余地なき農山漁村を調査し経更を図るべく、鈴鹿郡久間田村他3か村、計4か村において分村計画懇談会を開催。分村計画は単なる隣村への移住ではなく、満州へ移住させ居村を発展させるものである。 日刊 2面
15 昭和13年2月9日 1938 【家政改善講習】鈴鹿郡農会が農村家政の改善に乗り出すこととなり、国府、井田川、庄野、高津瀬、牧田、石薬師、久間田、深伊沢、椿、庄内の主婦、青年子女のため農村女子家政改善講習会を開催することとなった。 日刊 2面
16 昭和13年2月13日 1938 【祖国愛に燃ゆ 第2世の義金】鈴鹿郡久間田村出身の田中磯吉氏が30数年前渡米し築いた巨万の富を継いだ長男平次郎氏は、今回の支那事変において応召し奉公の誠を至している故国の親友知己に報いるために金1000円を同村の社会事業費に寄贈した。 日刊 3面
17 昭和13年2月15日 1938 【飴玉舐つて旅行】河芸郡の各小学校の時局に即応した教育方針の研究並びに発表を13日に行なったが、最も興味のある且適切なものは上野小学校に於ける修学旅行の駄費節約、並びに防空演習参加であった。 夕刊 2面
18 昭和13年2月15日 1938 【輝く96家 けふ晴れの表彰】今次事変に一家から3人以上の応召軍人を出した県下96家庭に対し、その名誉を表彰した。96家の内河芸郡から○家、鈴鹿郡から○家が表彰された。 日刊 2面
19 昭和13年2月17日 1938 【陣中から献金】目下北支戦線で活躍中の白子町出身、眞鍋部隊林部隊大杉市兵衛特務兵から15日白子町長宛に金5円を国防献金として送ってきた。 夕刊 2面
20 昭和13年2月17日 1938 【出征勇士の武運を祈願】河芸郡白子町在郷軍人、愛国・国防両婦人会、男女青年団では15日の出征将士の慰問の日に、出征軍人の遺家族を招き祈願祭を執行、また実況を撮影して町出身将兵に送付する。 日刊 2面
21 昭和13年2月18日 1938 【石谷部隊へ雑巾送る】河芸郡白子町国防婦人会では各自雑巾2枚づつ作成し、近く石谷部隊に寄付の手続きをする。 夕刊 2面
22 昭和13年2月18日 1938 【満蒙開拓】満蒙開拓のための訓練修了者として鈴鹿郡深伊沢村の今井虎松(24)さん、神辺村の佐藤寛文(26)さん、石薬師村の横井朝生(52)さん、白川村の若林藤一(23)さん、久間田村の谷口源十郎(42)さん、河芸郡一ノ宮村の伊藤小一(24)さん、明村の黒川新八(42)さんの名が挙がる。 日刊 3面
23 昭和13年2月19日 1938 【青年勤労報国運動 全国に紹介する】青年勤労報国運動を広く全国に紹介することとして優良青年団の活動実情を写真入りのパンフレットを全国各方面に配布する。優良青年団に鈴鹿郡野登村、河芸郡玉垣村が挙がる。 夕刊 2面
24 昭和13年2月19日 1938 【本年度徴兵検査日割】昭和13年度県下の徴兵検査日割が決定した。 夕刊 2面
25 昭和13年2月20日 1938 【野田部隊の音頭】河芸郡稲生村観音寺国婦会員佐々木しなさんが野田部隊の奮戦を歌った伊勢音頭を国婦会の総会で披露した。 夕刊 2面
26 昭和13年2月23日 1938 【甦った上海】河芸郡稲生村出身の樋口孝中尉から21日、母校職員、生徒に宛て陣中記がよせられた。 夕刊 2面
27 昭和13年2月24日 1938 【豆ニュース 第一線から送金】河芸郡飯野村特務兵澤田忠信氏は23日、村役場をへて国防献金として金5円を送付してきた。 日刊 3面
28 昭和13年2月26日 1938 【陣中から香典】鈴鹿郡石薬師村の歩兵伍長野呂正二氏が戦死した事を知った同村出身の勇士が香典4円を送った。 日刊 3面
29 昭和13年3月1日 1938 【陸軍記念日大講演会】県国防協会では、3月10日に陸軍記念日を迎え、国民精神の振興と国防観念の強化のため次の日割りで記念大講演会を開催する。8日河芸郡白子町。 日刊 1面
30 昭和13年3月3日 1938 【征け開拓者】県下経済更生指定村の満州国への分村について今日までに計画が樹立されつつある鈴鹿郡久間田村を含む5か村は具体的方策を協議するため久間田村他2か所で懇談会を開催する。 日刊 2面
31 昭和13年3月4日 1938 【銃後の守は台所から 農村主婦の申し合わせ】鈴鹿郡国府村、神辺村では、戦時体制下の銃後の農村婦女子として次のことは必ず守りましょうと申し合わせて戦時農村の主婦の意志を高らかに示した。 夕刊 2面
32 昭和13年3月8日 1938 【陣中から香料】鈴鹿郡井田川村出身の野間善一上等兵が去年12月に急逝したことに対し、隊員から書面とともに金13円の香典が送られた。 夕刊 2面
33 昭和13年3月10日 1938 【誉れの軍人の家】現在で一家より3人以上の兵役服務者を出した軍人の家を陸軍大臣から表彰した。鈴鹿郡からは久間田村、深伊沢村、一ノ宮村、栄村、河芸郡からは栄村、玉垣村の各家が表彰された。 日刊 2面
34 昭和13年3月11日 1938 【けふ聖戦下の陸軍記念日】河芸郡青年学校合同演習は9日神戸町を中心に行われ、10日の壮烈な突撃戦に演習の幕を閉じ、終わって神戸小学校で分列式をなし行事の幕を閉じた。 夕刊 2面
35 昭和13年3月11日 1938 【誉れの戦死者】河芸郡飯野村出身の石田正秋一等兵は2月23日名誉の戦死を遂げた。 夕刊 2面
36 昭和13年3月17日 1938 【杉村少佐の遺骨 あす原隊へ】18日に喪の凱旋をすることなった河芸郡神戸町の杉村謹三少佐の遺骨は17日○○港入港、翌18日に原隊合同慰霊後遺族に渡される。 夕刊 2面
37 昭和13年3月19日 1938 【あゝ故杉村少佐 姿なき凱旋】江南の華と散った杉村少佐の英霊は18日原隊に明かした後、家族や神戸町助役らに護られ親戚や神戸町各種団体代表の出迎えを受け、神戸町に向かい多数の出迎えのうちに同町未亡人しめ子さんの実家に入った。 日刊 3面
38 昭和13年3月20日 1938 【恩賜の義足頂き雄々し産業戦線へ】江南戦線で負傷し、病院にて右足を切断し、恩賜の義足を拝受した田中正明伍長はその後経過も順調であり、最近退院した。同君は産業第一線で活躍することを決意し郷里の空地で果樹園を営む一方新鮮な果実を加工の上、第一線に送り戦友を励ましている。 夕刊 2面
39 昭和13年3月20日 1938 【額に汗して童心の献金】河芸郡白子町小学校の児童は早朝氏神に参拝したり、境内の清掃や国防献金などの活動を続けているが、18日伊勢新聞社に感激の国防献金を寄託した。 夕刊 2面
40 昭和13年3月20日 1938 【陰凉寺山を取まき 物々しき兎狩り】県立鈴鹿高等女学校では体育運動と毛皮の軍献納のため、兎狩りを行った。 夕刊 3面
41 昭和13年3月25日 1938 【煙る春雨悲し】河芸郡神戸町出身の杉村謹三少佐の町葬は24日、神戸小学校校庭で行われた。 日刊 3面
42 昭和13年4月5日 1938 【河芸町村会】河芸郡長村会は第一線将兵に贈る慰問袋の各村割り当て及び自治制50周年記念式の参列者を決定する。 日刊 1面
43 昭和13年4月7日 1938 【銃後のまこと】河芸郡明村は勤労作業で得た10円23銭を○○陸軍病院に寄託、同郡神戸町国防婦人会から金一封の慰問があった。 夕刊 2面
44 昭和13年4月7日 1938 【鈴鹿町村長会】鈴鹿町村長会は軍隊慰問並びに去る2日、辞表を提出した米川郡団主事の後任その他当面の諸問題を協議した。 夕刊 3面
45 昭和13年4月8日 1938 【青少年義勇軍に76名が応募】満蒙開拓青年義勇軍第2次募集の応募者は76人に上った。合格者は5月に内地訓練を受け、7月に勇躍渡満する。また満州農業移民第8次先遣隊の募集につき県では移住相談会を開設する。採用者は1か月飯南郡粥見町の農林勧修場に収容し訓練の上、6月に渡満する。 夕刊 2面
46 昭和13年4月9日 1938 【銃後勤労奉仕の優良町村を表彰】県経済更正課が県下の銃後における勤労奉仕の特に優秀な村18ヶ村を表彰。箕田村もその18か村の中の1村として表彰。 日刊 2面
47 昭和13年4月9日 1938 【深伊沢村村葬】深伊沢村出身の歩兵上等兵健正義氏の村葬が11日に行われる。 日刊 3面
48 昭和13年4月12日 1938 【(尾鷲出身の福山中尉重傷に屈せず生還) 田中曹長の放れ業】北京での激戦において旧黄河に不時着した下方曹長を椿村出身の田中林平曹長が発見、敵機を蹴散らし見事救出した。 夕刊 2面
49 昭和13年4月12日 1938 【誠化校の児童献金】椿村誠化校小学校児童5名が小遣い及び学用品の節約や履物の売却で得た金1円51銭を国防献金した。 夕刊 2面
50 昭和13年4月14日 1938 【稲生女青の自転車隊津へ】稲生村女子青年団員及び女子青年学校生徒40余人は自転車隊を組織し津に行軍した。津では官祭招神社や県社高山神社に参拝し皇軍の武運長久を祈り、また伊勢新聞社や三重高農を見学した。 夕刊 2面
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