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昭和13年2月15日
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1938
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【飴玉舐つて旅行】河芸郡の各小学校の時局に即応した教育方針の研究並びに発表を13日に行なったが、最も興味のある且適切なものは上野小学校に於ける修学旅行の駄費節約、並びに防空演習参加であった。
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夕刊 2面
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2
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昭和13年2月15日
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1938
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【輝く96家 けふ晴れの表彰】今次事変に一家から3人以上の応召軍人を出した県下96家庭に対し、その名誉を表彰した。96家の内河芸郡から○家、鈴鹿郡から○家が表彰された。
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日刊 2面
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3
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昭和13年4月5日
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1938
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【河芸町村会】河芸郡長村会は第一線将兵に贈る慰問袋の各村割り当て及び自治制50周年記念式の参列者を決定する。
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日刊 1面
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4
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昭和13年4月8日
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1938
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【青少年義勇軍に76名が応募】満蒙開拓青年義勇軍第2次募集の応募者は76人に上った。合格者は5月に内地訓練を受け、7月に勇躍渡満する。また満州農業移民第8次先遣隊の募集につき県では移住相談会を開設する。採用者は1か月飯南郡粥見町の農林勧修場に収容し訓練の上、6月に渡満する。
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夕刊 2面
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昭和13年4月24日
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1938
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【凡ゆる方法を講じ燃料2割浮かばす】鈴鹿、河芸茶業組合では国策として燃料節約が叫ばれているのに沿って燃料消費を減らすこととなった。
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日刊 2面
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昭和13年6月9日
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1938
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【鈴鹿河芸2郡社会事務打合】鈴鹿、河芸両郡の援護事業並びに社会事務打合せ会を8日に開催。軍事援助法の施行や軍人遺家族の援助等について話し合った。9日には満州・南洋移民、母子保護法その他について協議する。
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日刊 2面
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7
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昭和13年10月6日
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1938
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【河芸高女】河芸高女生徒は雑巾1枚ずつ製作し最寄の各神社の掃除を行った。
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日刊 3面
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昭和13年10月20日
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1938
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【栄の正副選手決まる】伊勢神宮から明治神宮まで戦勝祈願をこめて継走大会が11月4日に開かれる。三重県の各選手が決定した。
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日刊 3面
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昭和13年11月10日
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1938
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【海軍志願兵の県下割当決定す】14年度の県下海軍志願兵の割当てが決定。鈴鹿郡60名、河芸郡70名。
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日刊 2面
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昭和13年12月26日
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1938
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【薙刀術教授】河芸高女校校医は薙刀100本余などを寄付し、1月早々から薙刀の講習を行う。
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日刊 3面
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昭和14年2月1日
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1939
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【鈴鹿川をはさんで壮烈な攻防戦を展開】歩兵33連隊の耐寒行軍演習は31日に開始され、鈴鹿郡国府村に到着し、東西両軍が鈴鹿川に沿って壮烈な攻防戦を行った後、露営した。
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夕刊 2面
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昭和14年2月2日
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1939
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【戦線は北勢へ】歩兵第三三連隊耐寒行軍第2日目は国府村を出発し、午後に三重村に入り壮烈な攻防戦を展開、今夜は同村にて露営する。
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夕刊 2面
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13
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昭和14年2月7日
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1939
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【今年の海兵志願者激減】昭和14年度の県海軍志願者は前年に比べ205名減少した。鈴鹿郡45名志願、14名合格。河芸郡36名志願、18名合格。
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日刊 3面
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14
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昭和14年3月1日
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1939
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【学郷一致の護り 銃後奉公会結成 国民皆兵の本義に基き 市町村を単位に】3月末までに、各市町村を単位に銃後奉公会を結成する。
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夕刊 2面
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15
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昭和14年3月7日
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1939
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【銃後奉公会設立】銃後奉公会の趣旨徹底のため、各郡町村長を開催する。
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夕刊 1面
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16
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昭和14年3月7日
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1939
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【徴兵検査】本年度の徴兵検査の日程について。
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夕刊 2面
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昭和14年4月12日
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1939
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【行くぞ満蒙新天地】満蒙開拓青少年義勇軍として本県から送り出す第1回隊員114名が決定した。
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夕刊 2面
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18
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昭和14年4月23日
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1939
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【“先生に海軍講習を”県下の選抜学校長決める】海軍知識、海防思想の普及のため海軍協会主催で5月10日から13日まで講習を開く。
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日刊 2面
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昭和14年4月26日
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1939
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【郷土の殉忠勇士を永へに鎮めまつる】県内の戦死者193人が新たに県護国神社に合祀される。
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日刊 3面
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20
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昭和14年5月2日
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1939
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【戦塵渦巻く大陸に勇士に捧ぐ1年半】戦地で、傷病兵の看護をしていた落合よねさん以下19名が帰還した。
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日刊 3面
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21
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昭和14年5月7日
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1939
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【河芸技術員会】河芸郡員会が6日に行われ、食糧生産の確保・軍需商品の供出について話し合った。
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日刊 2面
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22
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昭和14年6月25日
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1939
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【鍛錬の夏】河芸中等学校の夏休みは『勤労の休暇』とし、勤労集団訓練プランを決定した。
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夕刊 2面
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23
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昭和14年7月1日
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1939
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【銀紙を献納】県立河芸高女のゆきさん、政子さは銀紙1貫匁を軍への献納として町役場に委託。
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日刊 3面
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昭和14年7月3日
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1939
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【栄冠の陰にこの奮闘記録】健康優良児として選出された生徒のうち2人の生徒の奮闘記。
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25
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昭和14年7月7日
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1939
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【河芸青校連合演習】河芸郡北部の青年学校連合演習が午前5時より行なわれる。
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日刊 1面
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26
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昭和14年8月9日
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1939
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【軍需農産物5品目生産費調査を実施】軍需農産物供出施設事業の一つとして5品目について調査を行う。
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日刊 2面
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昭和14年8月24日
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1939
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【郷土短信 河芸】白子町の町営住宅協議、一身田町の乳幼児健康相談など4点について。
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日刊 2面
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28
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昭和14年8月25日
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1939
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【攘英激励電報】河芸郡臨時町村長会が開催され慰問袋の作成と激励電報についての協議が行われた。
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日刊 1面
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29
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昭和14年9月15日
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1939
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【割当貯蓄は3000万円】県は今年度中に1億の貯蓄を計画、その内3000万を国民貯蓄組合に割当て、近く貯蓄の調査を行う。
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夕刊 2面
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30
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昭和14年10月4日
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1939
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【飯野校女生ら赤誠は沸る】飯野小学校の女児童15名は1円23銭を県下応召軍人慰問資金として神戸通信都に委託した。
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夕刊 3面
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31
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昭和14年10月6日
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1939
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【郷軍の功労者表彰】県下47名を戦時下において功労のあった者として表彰する。
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日刊 3面
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32
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昭和14年10月6日
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1939
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【武勲を物語る先輩勇士遺品展】神戸小学校では、戦死した勇士たちの遺品展を開催し,観覧者を感動させている。
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日刊 3面
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33
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昭和14年10月15日
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1939
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【銃後乙女の意気河芸高女薙刀術】各種競技に戦時色を織り交ぜた河芸高女の運動会が開催され、銃後乙女の意気が示された。
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日刊 3面
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34
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昭和14年10月22日
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1939
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【河芸郡北部未教育兵訓練】在郷軍人連台分会は20日に入隊式を挙行後、3日間の猛訓練を行った。
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夕刊 2面
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35
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昭和14年10月24日
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1939
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【河芸教育会満支視察講演】河芸郡教育会は3校長を招いて満支視察講演会を開いた。
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夕刊 1面
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36
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昭和14年12月12日
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1939
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【9・18協定価格】9・18の停止令に基き、知事が認可する協定価格が設定された。
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日刊 2面
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昭和15年1月13日
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1940
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【海軍志願兵の検査日割決る】昭和15年度の本県海軍志願兵徴募検査は北牟婁郡を筆頭に10日より開始する。
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夕刊 2面
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38
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昭和15年1月22日
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1940
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【鈴鹿航空隊兎狩り】20日、鈴鹿航空隊は河芸郡高岡山で兎狩りを催し、兎6頭、亀1匹の他、狸を生け捕りにした。
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日刊 3面
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39
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昭和15年2月15日
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1940
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【河芸高女音楽会】河芸高等女学校は軍人遺家族慰安音楽会を開催、非常な感動を与えた。
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日刊 3面
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40
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昭和15年2月18日
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1940
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【河芸郡体育研究練習会】神戸小学校で国民体操、青年体操、女子青年体操の練習会を開く。参加者は200名。
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夕刊 2面
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41
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昭和15年3月31日
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1940
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【河芸国婦役員会】29日、河芸郡国防婦人会役員会は白子町で津連隊司令部島川少佐の出席のもとで開かれた。
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日刊 2面
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42
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昭和15年4月15日
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1940
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【河芸郡長村長】河芸郡長村長会は5月3、15日に横田・京都の郷土入隊者の慰問をすることを決定した。
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日刊 1面
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43
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昭和15年4月16日
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1940
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【しみじみと百姓の味を体験】満州帝国大同学院第1部第12期生195名は河芸郡農村を訪れ農道精神を体験した。
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夕刊 2面
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昭和15年4月20日
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1940
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【各地短信(河芸)】神戸署管下、自動車交友会神戸支部は21日総会を開く。他4件
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日刊 2面
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45
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昭和15年4月24日
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1940
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【各地短信】亀山町愛国婦人会は27日総会を開く。玉垣町国婦会、女青団は22日榊原神宮に参拝した。(他4件)
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日刊 2面
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昭和15年4月27日
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1940
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【各地短信】白子町では26日、町会を開き前町長への慰労金や、青年学校のフレーム設置について協議した。(他1件)
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日刊 2面
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47
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昭和15年4月29日
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1940
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【各地短信】河芸郡内の各小学校は養兎報国のため兎40匹を郡を通して購入した。(他5件)
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日刊 2面
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48
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昭和15年6月1日
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1940
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【皇恩、英霊に輝く】支那事変第23回論功行賞が発表され、265名が栄誉にあずかった。県下は77名が表彰された。
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日刊 2面
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49
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昭和15年6月29日
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1940
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【河芸高女汗の奉仕】河芸高女約200名は28日、応召遺家族の田植えを行った。29日は全校生徒が出勤する。
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日刊 2面
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50
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昭和15年7月2日
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1940
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【輝く健康優良児】先に発表、表彰された県下健康優良児に加え男女中等学校生徒も選抜を行った(以下受賞者)。
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夕刊 2面
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