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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
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1
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昭和13年1月12日
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1938
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【陣歿3勇士に祭粢料を下賜】河芸郡栄村出身の池田伊平輜重特務兵他2名の陣歿3勇士に天皇、皇后両陛下から祭粢料を下賜されたので、11日津連隊区司令部から伝達した。
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夕刊 2面
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2
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昭和13年1月13日
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1938
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【戦死の報があれば貯金を学校へ寄付】河芸郡栄村出身太田文尚上等兵の兄一良氏は、遺言で弟に貯金を託した。兄戦死の報に遺志をつぎ、小学校の教育費として50円、在郷軍人分会へ30円を寄付した。
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夕刊 2面
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3
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昭和13年3月10日
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1938
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【誉れの軍人の家】現在で一家より3人以上の兵役服務者を出した軍人の家を陸軍大臣から表彰した。鈴鹿郡からは久間田村、深伊沢村、一ノ宮村、栄村、河芸郡からは栄村、玉垣村の各家が表彰された。
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日刊 2面
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4
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昭和13年5月10日
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1938
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【河芸郷軍分曹長に太田米治郎氏就任】河芸郡在郷軍人連合分曹長に栄村の太田氏が就任することとなった。
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夕刊 2面
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5
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昭和13年11月3日
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1938
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【戦捷祈願の継走大会】伊勢神宮から明治神宮まで戦勝祈願をこめて継走大会が4日に開かれる。走者は栄村、白子町、玉垣村、神戸町、河曲村、一ノ宮村を通り明治神宮を目指す。
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夕刊 2面
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6
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昭和14年10月14日
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1939
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【河芸傷痍軍人分会長会議】河芸郡の傷痍軍人分会長会議を開催し就職などの件について協議した。
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日刊 3面
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7
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昭和14年11月13日
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1939
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【村の収入役さん専権に合格】杉野くんは、村書記を務める傍ら専権に向けて努力しており、今回受験したところ難関を突破した。
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日刊 3面
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8
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昭和16年1月24日
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1941
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【河芸栄村愛婦彰功旗樹立式】栄村愛婦は優良分会として彰功旗を授与されたので2月1日に樹立式を行う。
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夕刊 2面
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9
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昭和16年3月26日
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1941
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【献金箱】岩佐氏は小学校に100円、国防費に30円、村内各寺院へも永代総料を寄進した。
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日刊 3面
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10
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昭和16年3月27日
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1941
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【杉野兵曹長の法会を執行】栄村仏教団は26日、杉野兵曹長の第37回忌法会を執行する。
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日刊 3面
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11
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昭和16年5月7日
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1941
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【献金箱】栄村国民学校出口君他22名は放課後海岸で薪を拾って売却し得た1円を国防献金した。
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日刊 3面
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12
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昭和16年5月13日
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1941
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【献金箱】栄村国民学校児童は事変勃発以後、廃品回収等を行って国防献金に勤めており総額200余円となった。
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夕刊 2面
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13
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昭和16年6月1日
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1941
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【参宮だより(栄村村長ら参宮)】栄村では米川村長はじめ各区長らが参拝し、皇軍の武運長久・米穀増産を祈願する。
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日刊 3面
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14
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昭和16年7月1日
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1941
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【学園だより】栄村国民学校では食糧増産報国の一端として試作田1反歩を2反に増歩するなどしている。
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日刊 3面
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15
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昭和17年1月27日
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1942
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【天晴れ西村軍曹の妻】故陸軍歩兵軍曹西村佐太郎氏の妻ひさの氏は夫を戦場に送り、夫の訃報を聞いたのちも気丈に振舞った。
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日刊 3面
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16
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昭和18年3月6日
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1943
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【赤誠集】河芸郡栄村国民学校の各通学団の児童は松笠拾いの勤労奉仕で得た34円と兎を売却した5円を加え、39円を建艦献金にと4日本社に寄託した。
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日刊 3面
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17
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昭和18年5月3日
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1943
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【各種団体便り】幹部45名は29、30日の1泊2日の日程で栄村杉野兵曹長記念館前において錬成会を開いた。
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日刊 4面
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18
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昭和18年9月28日
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1943
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【杉野魂を中心に】国民学校では「杉野精神」を教育の核に置いている。
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日刊 4面
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19
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昭和20年5月7日
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1945
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【軍神杉野につづく】河芸郡栄村では、中村駒輔氏宅、中野小三郎氏宅、草野五郎兵衛氏宅の3軒が、一家から4人あるいは6人の軍人を出している。
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日刊 2面
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