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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
地域 |
1
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昭和13年2月19日
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1938
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【青年勤労報国運動 全国に紹介する】青年勤労報国運動を広く全国に紹介することとして優良青年団の活動実情を写真入りのパンフレットを全国各方面に配布する。優良青年団に鈴鹿郡野登村、河芸郡玉垣村が挙がる。
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夕刊 2面
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2
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昭和13年3月20日
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1938
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【恩賜の義足頂き雄々し産業戦線へ】江南戦線で負傷し、病院にて右足を切断し、恩賜の義足を拝受した田中正明伍長はその後経過も順調であり、最近退院した。同君は産業第一線で活躍することを決意し郷里の空地で果樹園を営む一方新鮮な果実を加工の上、第一線に送り戦友を励ましている。
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夕刊 2面
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3
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昭和13年6月27日
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1938
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【“肚と人情味の板垣”】板垣征四郎中将の陸軍大臣としての登場に対し学生時代からの友人であった玉垣村の石田繁蔵さんは我の事のように喜んでいる。
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日刊 3面
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4
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昭和14年4月27日
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1939
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【隻脚勇士に捧ぐ変わらぬ乙女の純情】きくさんは戦争で片足を失った宇一君に嫁ぎ、甲斐甲斐しく世話をしている。
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日刊 3面
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5
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昭和14年4月27日
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1939
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【日満親善の使命帯び】宣認記念興亜国民動員中央大会に参列する23名のうちの1人に玉垣村出身の河原博君が入選した。
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日刊 3面
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6
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昭和14年5月14日
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1939
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【移住の青少年頗元気で活躍】満州国国民□□大会に出席した博君が13日、帰国した。
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夕刊 2面
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7
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昭和14年12月12日
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1939
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【泗職紹便り】玉垣村小学校の明春卒業者のうち就職希望20名が平田紡績工場を見学した。
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日刊 3面
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8
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昭和15年5月12日
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1940
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【山林を開墾して報国農場を設置】県連合青年団は飼料増産に乗り出し、その中で玉垣村は3町5反歩を報国農場として設置した。
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日刊 2面
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9
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昭和16年1月12日
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1941
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【学校祭執行】10日、玉垣村で学校祭が杉野神官祭主のもと行われた。
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夕刊 2面
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10
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昭和17年2月11日
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1942
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【輝く”自治の華”】玉垣村村長川出精一氏は難航を続けた村治に挺身し、大きな功績を残している。
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日刊 2面
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11
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昭和17年2月25日
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1942
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【郷土版】一尊堂尼僧は21日、15円を海軍しょう兵金に、5円を神戸署人事相談所に寄託。
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日刊 3面
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12
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昭和17年2月27日
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1942
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【郷土版】26日、村会を開き17年度予算を可決した。
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日刊 3面
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13
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昭和17年10月10日
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1942
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【玉垣校に奉安殿】奉安殿のなかった玉垣村では村民と国民学校児童の物品改修によって8000円が集まり、国民学校にて建築するための協議会が8日開かれる。
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夕刊 2面
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