伊勢新聞データベース

キーワード:河芸郡神戸町
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No 刊行年月日 西暦 伊勢新聞の【見出し】内容 掲載 地域
1 昭和13年1月18日 1938 【せめてお針でも乙女の赤心】河芸郡神戸町出身の三三連隊の某くんは○○病院で加療中の傷病兵慰問にと營内から匿名で5円を寄託。 夕刊 2面
2 昭和13年3月11日 1938 【けふ聖戦下の陸軍記念日】河芸郡青年学校合同演習は9日神戸町を中心に行われ、10日の壮烈な突撃戦に演習の幕を閉じ、終わって神戸小学校で分列式をなし行事の幕を閉じた。 夕刊 2面
3 昭和13年3月17日 1938 【杉村少佐の遺骨 あす原隊へ】18日に喪の凱旋をすることなった河芸郡神戸町の杉村謹三少佐の遺骨は17日○○港入港、翌18日に原隊合同慰霊後遺族に渡される。 夕刊 2面
4 昭和13年3月19日 1938 【あゝ故杉村少佐 姿なき凱旋】江南の華と散った杉村少佐の英霊は18日原隊に明かした後、家族や神戸町助役らに護られ親戚や神戸町各種団体代表の出迎えを受け、神戸町に向かい多数の出迎えのうちに同町未亡人しめ子さんの実家に入った。 日刊 3面
5 昭和13年3月25日 1938 【煙る春雨悲し】河芸郡神戸町出身の杉村謹三少佐の町葬は24日、神戸小学校校庭で行われた。 日刊 3面
6 昭和13年4月23日 1938 【突差に敵に目潰し 短剣で刺殺す】神戸町出身の水野幸泰上等兵は闇を利用して襲ってきた敵に砂をかけ、目潰しをし持っていた短剣で刺殺したとの武勇伝を神戸町長に寄せた。 夕刊 2面
7 昭和13年5月11日 1938 【河芸神戸校盛大な落成式】神戸小学校の落成式が挙行された。 日刊 2面
8 昭和13年6月19日 1938 【各字に貯金組合】『貯金80億円』の国策に沿って神戸町でも各18字が愛国貯金組合を設け、町民全部が貯蓄を行うこととなった。 夕刊 2面
9 昭和13年6月19日 1938 【“おヽ兄さんよ弟よ”戦場に劇的対面】神戸町の清水兄弟はそれぞれ別の隊に所属し聖戦の渦中にあるが、戦地で思いがけない出会いを果たしたとの便りが実家に寄せられた。 夕刊 2面
10 昭和13年11月5日 1938 【神戸郷軍強行軍】神戸町在郷軍人分会員および未入営兵は三重郡水澤村まで強行軍した。 日刊 3面
11 昭和13年11月6日 1938 【神戸校土俵開き】神戸小学校では児童の体位向上を目指し校内中庭に土俵を作り、23日に土俵開きを行う。 夕刊 2面
12 昭和13年11月11日 1938 【神社巡拝リレー神中の‘心身鍛錬’】県立神戸中学校の神社巡拝リレーが10日に行われ、10社を巡拝した。 日刊 3面
13 昭和13年12月2日 1938 【神戸中学の倣へ】神戸中学校は上住査閲官に「新しい学校にも拘わらず軍事教育は非常によく徹底している」と評価される。 夕刊 2面
14 昭和13年12月18日 1938 【神戸中学の兎狩り】神戸中学校生が兎狩りを行い、捕獲した兎の皮は献納することになってる。 日刊 2面
15 昭和14年1月14日 1939 【県下の青少年400名満蒙の新天地へ送る】14年度県から送り出す満蒙青少年義勇軍は400名と決定。趣旨徹底につき、県下で協議、懇談する。19日神戸中学校。 日刊 3面
16 昭和14年3月4日 1939 【参観の父兄泣かせた板倉大尉の書簡】神戸町小学校の学芸祭で、板倉大尉の書簡が朗読され、参観した父兄は涙した。 日刊 3面
17 昭和14年3月12日 1939 【不用品を活せ】不用品のセリ市をひらき、利益を出征遺家族への慰問費用に当てる。第1回目は盛況であった。 夕刊 2面
18 昭和14年4月20日 1939 【軍事後援会へ寄付】清水源七さんが20円、弟が10円をそれぞれ軍事後援会へ寄付した。 日刊 3面
19 昭和14年5月7日 1939 【映画会益会】映画会を開催し、その収入を全て銃後奉公会に寄付する。 夕刊 2面
20 昭和14年5月12日 1939 【河芸神戸町内の国道回収を実施】神戸町の東側に新しく国道を建設することが決定した。 夕刊 1面
21 昭和14年7月9日 1939 【神戸町に都計】内務省で都市計画法により神戸町を指定する旨を8日に通達。 夕刊 1面
22 昭和14年7月30日 1939 【20万円で住宅会社】北勢臨時工業地帯の中枢である四日市の住宅建設計画の資本は約20万円になる予定である。 日刊 2面
23 昭和14年8月13日 1939 【勇士の父が】西川熊吉氏が恤兵費として100円を献納。 夕刊 2面
24 昭和14年11月3日 1939 【町制実施50年】神戸町では町制実施50周年記念式典を挙行する。 日刊 2面
25 昭和14年11月11日 1939 【神戸廓が国防献金】神戸町南北廊から神戸町役場を通して100円の国防献金・50円を軍人後援会へ寄付した。 日刊 3面
26 昭和14年11月14日 1939 【舞踊大会売上献金】西川さん主催の舞踏大会の売り上げの中から国防費100円、軍事後援会へ50円を寄付された。 夕刊 2面
27 昭和14年12月5日 1939 【神戸消防組頭引退記念相撲】前消防組頭笠井氏が東京大相撲の照国の一行を招き消防組頭引退記念相撲を挙行する。 日刊 3面
28 昭和14年12月22日 1939 【羊毛廃品回収】19日に神戸町小学校講堂で近くの各村国防婦人会が羊毛廃品回収会を開いた。 夕刊 2面
29 昭和14年12月28日 1939 【河芸神戸校兎狩】神戸町小学校では27日河芸地内山林で兎狩りをする。 夕刊 2面
30 昭和14年12月28日 1939 【感心な子を賞讃】神戸小学校では、模範とされる児童20数名を発表し、賞賛した。 日刊 3面
31 昭和14年12月29日 1939 【河芸神戸校のうさぎ狩り】神戸小学校で27日に行われた兎狩りで獲った毛皮は直に兵隊へ献納した。 夕刊 2面
32 昭和15年2月7日 1940 【バケツ隊が活躍】神戸町小出町西川寅吉より出火したが、町民が防空訓練の成果を発揮しバケツリレーで鎮火した。 日刊 3面
33 昭和15年4月6日 1940 【素人演芸慰安純益金を金献】姐さんとアマチュア連は5日出征軍人遺家族の慰安演芸大会を行い一般観覧者の料金を全額国防献金した。 日刊 3面
34 昭和17年1月3日 1942 【皇軍慰問銃後ハガキ便り】倉田行人子氏による手紙の文章。 日刊 3面
35 昭和16年2月28日 1941 【慰霊祭を執行】神戸町では、在郷軍人・国婦会共催で3月19日慰霊祭を執行する。 夕刊 2面
36 昭和16年4月17日 1941 【献金箱】神戸町国民学校初等科の大野さん他3名は拾った鉄くずなどを売却して得た80銭を国防献金した。 日刊 3面
37 昭和16年4月19日 1941 【兵事主任を表彰】神戸警察署管内11か町村の兵事主任会議が17日行われ2氏が表彰を受けた。 日刊 3面
38 昭和16年5月8日 1941 【武彦君に同情金】中勢病院看護婦北村さん他7名は土井上等兵の遺児武彦君に金15円の伝達を申し出た。 夕刊 2面
39 昭和16年6月6日 1941 【神戸町国婦会員四市東紡を見学】神戸町国婦会員100余名は時局認識を深めるため7日、四日市の東洋紡織工場を見学する。 夕刊 2面
40 昭和16年6月20日 1941 【散髪はお姉ちゃんの手で】神戸町国民学校は清水氏から理髪機数個と付属品の寄付を受け、町立実科女学生に理髪技術を教え、今後児童の理髪をそこで行うこととなった。 夕刊 2面
41 昭和16年9月11日 1941 【里芋茎皮でロープ】里芋の茎皮でロープを造る計画が提案されており、神戸町の兼松氏が研究中である。 日刊 2面
42 昭和16年9月18日 1941 【金時赤ちゃん】神戸町本年度乳幼児検診が11日、行われ137名中25名が平均体格以上の優良児であった。 日刊 3面
43 昭和16年9月27日 1941 【集つたぞ羊毛】神戸町愛婦分会は同町女青と協力し第2回皮毛報国運動に乗出し、65貫の回収量を得た。 日刊 3面
44 昭和16年11月11日 1941 【共炊にはお得意の料理】河芸郡神戸町の勤労奉仕隊が共同炊飯に加わり食料増産に貢献する。 日刊 3面
45 昭和16年11月12日 1941 【神戸署管内諸車運送業者で協議】神戸署は12日、館内諸車運送業者を集め改正法規について説明、組合結成に向け協議を設ける。 日刊 2面
46 昭和16年11月21日 1941 【断然多い工場志望】神戸中等校の生徒は卒業後工場に就職を希望する者が多数である。 日刊 3面
47 昭和17年1月7日 1942 【神戸町湯銭値上】湯産業組合では従来の入浴料を値上げした。 日刊 3面
48 昭和17年1月18日 1942 【大兎狩を開催】国民学校では冬期鍛錬と毛皮報国を兼ねて、26日大兎狩を開催する。 夕刊 2面
49 昭和17年2月6日 1942 【神中の鍛錬行軍】県立神戸中学校では報国隊を組織し、7日午前8時から午後4時まで必勝祈願・耐寒行軍を行う。 夕刊 2面
50 昭和17年2月11日 1942 【神戸の銅鉄回収】神戸町で行われた金属回収は好成績であったが、中には陶製品に黒ペンキで上塗りしたものを供出する不心得者もいた。 夕刊 2面
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