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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
地域 |
1
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昭和22年5月18日
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1947
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【鈴鹿簡易裁判所 工業校を應舎】神戸小学校附属幼稚園の一部を応急事務所として使用する鈴鹿簡易裁判所が、鈴鹿市立工業校の玉垣町元海軍宿舎への移設に当たり、同所を正式な事務所として移転する予定。
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日刊 2面
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2
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昭和24年10月3日
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1949
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【おんぼろ寮に雑魚寝 戦災者引揚者 家賃を出すか立退きか】元軍需施設松風荘(元玉垣寮)が申請忘れで鈴鹿市の管理となっていなかったので、名古屋地方財務部津支所はその所有者として100世帯余の居住者らに3000円の家賃を要求。同支所は同建物を市管理とするのが妥当としたが、市側は拒絶。
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日刊 2面
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3
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昭和27年3月12日
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1952
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【呉羽紡鈴鹿工場内に“鈴鹿学院”】同工場従業員500名の知識技術、社会教養指導のため、工場内に修養年限3年の本科、1年の専攻科を修める“鈴鹿学院”を開設する。
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日刊 4面
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4
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昭和28年1月11日
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1953
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【大東紡鈴鹿工場来月10日頃起工式】元鈴鹿海軍航空隊跡西へ誘致成功した大東紡織鈴鹿工場が敷地60万坪の買収に取りかかり、2月10日頃起工式の予定。
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日刊 2面
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5
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昭和28年2月17日
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1953
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【自決した母姉弟偲び 日本丸の帰えり待つ父子】玉垣町松風荘居住の父子。サイパン島に居着いていたが、太平洋戦争勃発で父が徴用、母・長女・次男は入水自決、助かった長男は捕虜となり父と再会、内地に引揚げ市内に居住。
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日刊 7面
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6
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昭和28年3月27日
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1953
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【10日大東紡鈴鹿工場起工式】4月10日大東紡織鈴鹿工場の起工式が挙行される。敷地は両町内に六万坪。
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日刊 2面
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7
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昭和28年4月13日
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1953
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【大東紡起工式】第1期工事は11月末完成予定で、毛糸製品の生産に乗り出す。
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日刊 2面
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8
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昭和30年5月18日
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1955
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【エスロンパイプ会社 鈴鹿市に誘致】昨年末から市と県が協力して話を進めていたエスロンパイプ製造株式会社鈴鹿工場誘致が正式決定。敷地は南玉垣町電通学園西の国有地8500坪と隣接市有地7000坪。
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日刊 1面
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9
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昭和30年9月12日
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1955
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【明年6月に操業開始 積水化学鈴鹿工場内着工】東玉垣町地内元第二海軍航空隊跡に積水化学工場の誘致が決定した。敷地払い下げも済ませ、年内着工の予定。操業は明年6月頃の見込み。
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日刊 2面
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10
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昭和30年10月8日
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1955
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【積水化学鈴鹿へ】積水化学工業株式会社は市南玉垣町旧第二海軍航空廠鈴鹿支部跡(国有地)の払い下げを東海財務局津財務部に申請。現場作業員250名を現地で採用する。
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日刊 2面
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