1
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昭和13年11月3日
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1938
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【戦捷祈願の継走大会】伊勢神宮から明治神宮まで戦勝祈願をこめて継走大会が4日に開かれる。走者は栄村、白子町、玉垣村、神戸町、河曲村、一ノ宮村を通り明治神宮を目指す。
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夕刊 2面
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2
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昭和14年2月6日
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1939
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【減産辿る白子型紙】時局の影響で注文が少なく、生産減退の一途を辿るを得ない事情となった。
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日刊 2面
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3
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昭和14年7月8日
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1939
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【郷土短信】神戸署の防空訓練、玉垣村の警防団旗樹立式などについて。
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日刊 2面
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4
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昭和14年9月26日
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1939
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【釘付値段の徹底】時局下の低物価政策のため、9・18物価を徹底させることについて懇談会を開くこととなった。
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日刊 3面
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5
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昭和15年5月17日
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1940
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【玄米の炊き方を主婦たちに講習】白子町の愛婦・国婦両会は17日講習会を開き節米・健康増進のため玄米食を奨励する。
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昭和15年5月17日
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1940
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【白衣勇士慰問】白子女子青年学校は19日一志郡榊原療養所で勤労奉仕を行う。
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7
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昭和15年6月30日
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1940
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【国民貯蓄懇談会】白子町では7月2日同町小学校で国民貯蓄強化講習会・懇談会を開く。
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夕刊 2面
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8
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昭和15年7月28日
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1940
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【白子町の常会委員会】白子町の振興のため常務委員会を25日に開き常会の基本方針などについて協議した。
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夕刊 2面
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昭和15年8月11日
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1940
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【1000年の伝統誇る白子型紙全く衰微】白子名産の型紙は京都織物界の衰退によりさらに注文が減少、職人の殆どは重工業に転向した。
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日刊 3面
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10
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昭和15年9月8日
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1940
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【小遣銭を献金】白子町運送株式会社従業員一同は鈴鹿航空隊へ30円同町役場へ30円をそれぞれ国防献金した。
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夕刊 2面
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昭和15年9月10日
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1940
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【白子の型紙彫刻外国の銀幕で宣伝】白子町の型紙彫刻技術を映画化し、全国各地や外国へ宣伝することとなった。
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日刊 3面
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昭和15年9月14日
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1940
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【雄々しくも枝園発展に活躍】白子町女青寺家枝園長てつ子さんは率先して働き枝園の財政を盤石なものとし銃後女性の模範となっている。
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夕刊 3面
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13
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昭和15年9月19日
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1940
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【白子町会招集】17日、白子町会が開かれ物資対策委員20名の選任や防空費用などが可決された。
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日刊 3面
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14
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昭和15年9月29日
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1940
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【モンペ講習】白子町愛国婦人会は26,7両日各集会所でモンペ調整講習会を開いた。
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夕刊 2面
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昭和15年10月14日
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1940
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【各地の公葬】13日、三国同盟□□□葬式並びに町民□会を挙行する。
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日刊 2面
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昭和15年10月23日
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1940
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【豆ニュース(白子青年団体力章検定会)】11月1日、白子青年団は体力章検定会を開く。
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日刊 3面
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17
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昭和15年10月30日
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1940
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【白子市の誕生期し隣村の合併説擡頭】稲生・玉垣など5町村を合併し白子市を建設する動きが強まっている。
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夕刊 1面
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18
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昭和16年1月10日
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1941
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【推尾博士招き講演を聞く】白子町は9日時局に関する認識を深めるため講演会を開いた。
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日刊 3面
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19
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昭和16年1月18日
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1941
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【勤労の報酬で】白子町青年団寺家支団員20余名は応召家族の慰問資金造成のため15日工事に従事した。
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夕刊 2面
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20
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昭和16年1月21日
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1941
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【白子愛婦幹部会】白子愛国婦人分会は20日幹部会を開き会員増募などについて協議をした。
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夕刊 2面
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昭和16年1月27日
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1941
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【献金箱】白子小学校6年生秋山さんは四日市の中央毛糸工場で働いて得た2円を国防献金した。
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日刊 2面
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昭和16年2月9日
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1941
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【針に感謝致しませう】白子小学校は女生徒への情操教育も一端として8日針供養を行った。
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日刊 3面
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昭和16年2月19日
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1941
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【白子町両婦人会護国神社に参拝】白子町愛婦・国婦会幹部は戦没遺家族と共に18日、護国神社に参拝した。
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日刊 3面
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昭和16年3月2日
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1941
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【抜打的防火訓練】白子町警防団は防空防火の完璧を期すため1日抜打的に防火演習を行った。
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夕刊 2面
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昭和16年3月8日
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1941
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【郷軍白子分会役員決定す】白子町豪軍分会役員選挙が6日に行われた。
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日刊 3面
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昭和16年4月15日
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1941
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【道路改修奉仕】白子町寺家区鈘町常会は道路の改修を行い13日、町内全員が勤労の汗を流した。
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夕刊 2面
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昭和16年4月19日
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1941
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【武運長久祈願祭】白子町愛婦・国婦会は榎本さんから10円の寄付を得て15日応召軍人の武運長久を祈願した。
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夕刊 2面
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28
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昭和16年4月27日
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1941
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【献金箱】白子町海松館は同町白栄座で舞踊界を催し、利益金50円を国防献金した。
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夕刊 2面
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29
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昭和16年5月4日
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1941
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【白子町に海軍協会分会】海軍思想向上のため200余名の会員を以て海軍協会分会を結成。発会式は25日である。
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日刊 3面
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30
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昭和16年5月30日
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1941
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【赤誠の演芸家】白子町愛婦・国婦幹部30余名は演芸団を結成し榊原療養所を訪問、舞曲等を催し慰問する。
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夕刊 2面
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31
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昭和16年5月30日
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1941
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【献金と寄附】白子町の吉川氏他7名は海軍記念日に航空隊付近で果物を販売して得た利益金10円を寄付した。
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夕刊 2面
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昭和16年6月1日
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1941
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【白子町常会】白子町は1日、町常会を開き木炭の配給割当調査などについて協議を行う。
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日刊 1面
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33
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昭和16年6月1日
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1941
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【荒無地を開墾】白子町国民学校は長谷川氏所有の荒無地3反歩を借受け児童の手によって開墾する。
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日刊 3面
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34
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昭和16年7月25日
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1941
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【白子に町営住宅】白子町は住宅難の緩和策として町営住宅増設の計画を進めこの度谷川氏が工事を92300円で落札した。
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夕刊 2面
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35
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昭和16年8月6日
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1941
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【第一線の勇士へ】第1回報国債券で2等の1000円が当る7507番は勧銀津支店より白子町型紙工場組合に売った債券の中にあったが転売した後で本人は落胆している。
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夕刊 2面
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36
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昭和16年8月6日
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1941
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【白子国民学校夏期児童保養所】白子町国民学校は日赤三重支部主催の夏期児童保養所として2日から150名の児童を収容し、また町営の児童保養所としても50名を収容している。
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日刊 3面
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昭和17年8月12日
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1942
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【防空設備点検】神戸署では8日午後7時30分より神戸町国民学校にて講演と座談会を開催し19日までに完全な防空設備を施すよう注意を促し、20日は警察官警防団幹部が一斉に点検を行う。
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夕刊 2面
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38
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昭和17年10月19日
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1942
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【模範防空施設】白子町と中之町は団結して他に率先して防空設備資材の点検を行っており、規律厳粛な点において模範的であったので、18日神戸署より表彰状が贈呈された。
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日刊 3面
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39
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昭和18年2月23日
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1943
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【配給回覧板】生魚2月分を1人当たり20匁として家族数に応じて配給する。
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夕刊 2面
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40
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昭和18年3月4日
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1943
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【白子郷軍査閲】郷軍白子分署では5日、査閲を受ける。
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日刊 3面
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41
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昭和19年2月17日
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1944
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【鈴鹿市号へ1万円】白子町連合町内会は10279円を、中山吾三郎氏は5円をそれぞれ飛行機献納資金として寄託。
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日刊 2面
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42
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昭和19年3月1日
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1944
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【赤誠集】□□三郎氏は140円、竹伸農家組合は200円、酒井末一氏は20円をそれぞれ陸海軍飛行機資金に、杉野寅松氏は50円を海軍飛行機資金に寄託。
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日刊 4面
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43
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昭和19年8月13日
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1944
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【鈴鹿市壮丁水泳検定会】壮丁水泳検定会は10~13日の日程で行われ、更に不能壮丁の皆泳訓練を13日から5日間若松海岸にて行う。
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日刊 4面
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44
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昭和22年7月27日
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1947
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【鈴鹿市でも】鈴鹿市体育協会が白子町“わかもと”のプールで市内各学校生徒及び一般市民の競泳大会を実施する。
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日刊 2面
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45
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昭和24年1月1日
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1949
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【通信学園 4月に仮開校】鈴鹿電気通信学園の紹介。元鈴鹿海軍航空跡の兵舎の学校施設への改造が進んでいる。4月に仮開校の予定。
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日刊 3面
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46
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昭和23年2月27日
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1948
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【白子で町民大会 鈴鹿市離脱を叫ぶ】白子で22年末から鈴鹿市離脱の動き。離脱準備委員会を設置し署名活動を行っていたが、地区民の7割の賛成を得たため、25日午後1時から同地区中座で白子地区鈴鹿市離脱期成同盟結成大会を開催。約600名が参加した。
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日刊 2面
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47
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昭和23年3月5日
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1948
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【市長に分離決議書】3日、白子地区鈴鹿市離脱期成同盟実行委員会が決議書・同委員会ならびに町民の同意調印書を杉本市長に提出。。市会議長は4日反対意見を表明。
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日刊 2面
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48
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昭和23年3月6日
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1948
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【白子町問題 解決は早い?】青木知事が知事会議より帰還。近く自治法の改正に伴い戦中合併された市町村は議会の承諾を得ずとも地元の希望により離脱可能となる見込みを報告。
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日刊 2面
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昭和23年3月7日
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1948
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【円満に解決か 白子町分離問題】市側でも10日、最後的決定を行う方針であるが、5日には地元有志と長谷川県議会副議長と面談し、公平な立場での調停に乗り出すこととなった。
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日刊 2面
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50
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昭和23年3月13日
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1948
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【白子分離運動】分離運動はフアッショの色を濃厚に現してきた。(鈴鹿、長谷川公平談)
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日刊 2面
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