1
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昭和13年3月20日
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1938
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【陰凉寺山を取まき 物々しき兎狩り】県立鈴鹿高等女学校では体育運動と毛皮の軍献納のため、兎狩りを行った。
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夕刊 3面
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2
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昭和14年2月2日
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1939
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【鈴鹿航空隊あり】国有鉄道の新設を要望する関係各面の運動が表面化し、伊勢臨海工業地帯化の南方移行、鈴鹿航空隊の出現などの有利な諸条件を具備しているため比較的急速に実現するのではないかと観測される。
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日刊 2面
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3
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昭和14年2月11日
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1939
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【舵翼油槽は殆んど焼け火焔の愛機で無事帰還】鈴鹿海軍航空隊の宮田成人三等航空兵曹は敵の猛烈な攻撃を受け、航空機が炎上したが、何とか無事基地に帰還した。
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日刊 2面
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4
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昭和14年4月13日
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1939
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【高等飛行などで海鷲の威容示す】鈴鹿海軍航空隊は海軍記念日に海鷲の威容を一般に知らしめる予定。
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日刊 2面
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5
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昭和14年4月18日
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1939
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【歩三三の連合演習中北勢山野に展開】歩兵三三連隊を中心とする連合演習が24日より開かれ、26日まで続く。
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日刊 3面
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6
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昭和14年7月22日
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1939
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【さあ県下の宝庫を探る】県下中等学校博物科担任教員14名を派遣し、県下の地下に眠る宝庫の開発を行う。
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日刊 3面
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昭和14年8月1日
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1939
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【誉の傷痍軍人の職業相談所】傷痍軍人の職業を保護するため、職業相談書を開設し各地に出張している。
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夕刊 2面
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8
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昭和14年8月25日
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1939
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【内堀の日参団員鈴鹿航空隊見学】桑名市第三小学校の日団員80名が鈴鹿航空隊を見学する。
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日刊 3面
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9
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昭和14年8月26日
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1939
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【莚叺増産協議】鈴鹿郡内の筵製造業者・農会関係者数十名が軍事供出用叺増産計画について協議した。
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日刊 2面
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昭和14年9月5日
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1939
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【模範お百姓表彰】米増産の国策に沿い、最善の努力をした県下の百姓27名を此度表彰することとした。
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夕刊 2面
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昭和14年9月9日
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1939
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【鈴鹿の米作増収予想】今年は天候も水利もよく、米増産計画の目標数値に近い収穫が見込めるであろう。
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日刊 2面
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12
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昭和14年10月11日
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1939
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【謎の総意開かる】鈴鹿・河芸を含む5市で県議選が開かれ、各候補者や立合い人たちは興奮に包まれている。
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夕刊 1面
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昭和14年10月16日
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1939
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【“殊勲甲”57名】第17回論功行賞で護国の英霊7854柱に栄誉がもたらされ、うち200名は県下出身である。
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日刊 2面
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昭和15年1月13日
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1940
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【青年団経営指導講習会】青年団活動の活発化のため大日本青年団副幹事岩崎龍氏を招き、青年団経営指導講習を行う。
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夕刊 1面
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昭和15年1月13日
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1940
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【米穀受給鈴鹿打合】13日に団体事務所で各町村長、農会長、産業組合長等が集合し協議会を開く。
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日刊 2面
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昭和15年2月16日
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1940
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【九段で神なる父と逢ふ】戦死した父や兄に対面する59名の遺児が選ばれた。係官の引率で3月25日上京する予定である。
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夕刊 2面
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17
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昭和15年4月7日
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1940
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【藁工品の県営検査】藁工品の公価公告に伴い県営検査の実施地域を拡大し主産地である員弁・鈴鹿・度会に実施する。
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日刊 2面
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昭和15年4月17日
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1940
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【のびよ私たちの山】女範・女青教・鈴鹿高女生は阿山郡東拓植村の土地5町歩を借り受け、植林事業を行う。
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日刊 3面
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昭和15年4月24日
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1940
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【8万若人を動員し農産物増産に拍車】昨年から県下の男女青年8万を動員して産業経済活動を行っているが、来年度これを拡大するため各地で協議会を開く。
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夕刊 2面
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20
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昭和15年8月3日
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1940
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【体力検定講習会】県は2日四日市で三重郡・河芸郡・鈴鹿郡関係者100名ほどを集め講習会を行った。
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日刊 3面
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昭和15年8月6日
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1940
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【県下9地区に分かち米配給に万全期す】8月1日から実施している県の米配給統制は6日より第2段階に入り調整が進められている。
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日刊 2面
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昭和16年5月4日
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1941
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【乙女の純情】鈴鹿高女の豊田さん他3人は靖国の悲話として有名な土井武彦くんの話を聞き、土井さんのために2円2銭を委託した。
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夕刊 2面
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昭和16年5月8日
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1941
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【豪壮な空中分列式】鈴鹿航空隊は海軍記念日の27日記念式典を挙行し空中分列式を行い荒鷲の威容を示す。
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日刊 3面
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昭和16年5月16日
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1941
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【聖地女学生の捧ぐ誠】鈴鹿高女4年長谷川美世子さん。河芸高女3年長谷川千栄子さん。皇后陛下の行幸を控えての感動を伝えている。
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夕刊 3面
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昭和16年5月25日
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1941
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【凄絶急降下爆撃】海軍記念日の27日鈴鹿航空隊では記念式・大空中分列式・記念祝宴会等が開催される。
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日刊 3面
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26
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昭和16年5月28日
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1941
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【堂々、空の護りを誇示】鈴鹿航空隊では記念式が挙行され分列式や特殊飛行等が披露された。また児童による相撲大会や軍事思想普及のための作品展などが開かれた。
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夕刊 2面
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27
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昭和16年9月7日
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1941
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【青校教育刷新企画】県は学校経営について詳細に視察し適当な指導を与えることとなった。
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夕刊 1面
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28
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昭和16年9月11日
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1941
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【四市地方の商組再編】四日市市を中心として再編成される小売商業組合の編成について。
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日刊 2面
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29
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昭和17年3月14日
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1942
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【郷土版】鈴鹿地方の水田で□拾いが始まった。
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夕刊 2面
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昭和17年4月8日
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1942
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【神戸、白子両町を含む2町7か村合併問題】河芸郡北部玉垣村を中心として神戸、白子、一之宮、箕田、若松、飯野、稲生、河曲の合併問題が起こり、第1回第2回の関係町村長協議会では議論が好転した。実現は早く、市制実施に近いものと見られる。
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日刊 1面
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31
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昭和17年4月9日
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1942
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【神戸、白子中心に新市の誕生急進展化】2町7か村の合併は併合ではなく、町村解消の形式による無条件合併であり、早急な市制施行が望まれる。
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日刊 1面
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32
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昭和17年4月13日
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1942
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【鈴鹿滑空場】大日本飛行協会鈴鹿滑空場の建設について飛行協会県支部では14日、関係者協議会を開き、青少年団、学校生徒等による建設勤労奉仕作業などについて打合せを行う。
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日刊 3面
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33
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昭和17年4月24日
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1942
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【町村合併問題慎重期して邁進】23日、若松村にて関係町村長が参集し協議を行い、軽挙を避け慎重に目的達成に邁進するよう申し合わせた。
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日刊 1面
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昭和17年4月27日
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1942
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【白子町を除き1町7か村合併か】町村合併問題については白子町の態度が一向決定せず、進行がにぶっている。現在のところ各町村とも全町村の円満合併が希望されている。
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日刊 1面
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35
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昭和17年5月13日
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1942
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【鈴鹿川改修起工式】23日、三重郡楠町鈴鹿川堤防にて鈴鹿川国営改修工事の起工式が行われる。3年間継続事業として実施される。
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日刊 3面
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昭和17年5月16日
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1942
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【富永さんは工兵軍曹】内務省名古屋土木出張所長の富永正義氏は河川改修に関する権威であり、近く鈴鹿川改修関係で赴任する。
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夕刊 2面
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昭和17年5月20日
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1942
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【牧田、国府、庄野3村解消合併町制を実施】3村の解消合併により村制を実施しようとする動きがあり、25日の村会議員選挙ではこの合併促進に挺身しうる人材を選出するべく考慮されている。
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日刊 1面
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昭和17年5月22日
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1942
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【待望の鈴鹿川治水工】鈴鹿川は周辺農業に貢献する一方で水害による損失ももたらしてきた。
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日刊 2面
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昭和17年5月24日
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1942
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【鈴鹿川改修工事】23日、四日市市楠町の小倉堤にて、鈴鹿川改修工事の起工式が行われた。
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日刊 3面
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昭和17年5月26日
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1942
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【第二滑空訓練所】大日本飛行協会三重県第二地方滑空訓練所では、一之宮に約800坪の敷地建設計画を進めていたが、鈴鹿川の改修のため土地を変更し、楠町北五味塚地内が新候補地となった。
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日刊 2面
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41
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昭和17年6月6日
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1942
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【鈴鹿川改修に応援を要請】諸井鈴鹿川改修事務所長は関係各方面の労務協力を希望しており、工事の進展具合によっては600名近くの増員が必要とされるので、付近中学生徒だけでなく農閑期には農村労力の全面的応援を要請している。
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日刊 2面
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42
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昭和17年6月26日
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1942
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【新たに「鈴鹿町」建設】庄野、牧田、石薬師、高津瀬の4か村を解消合併させることになった。県では諮問書を通達してその答申をもとに正式な手続を行う方針である。
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日刊 1面
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43
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昭和17年6月29日
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1942
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【鈴鹿町の誕生】庄野、石薬師、高津瀬、牧田はそれぞれ村会を開き県に対する答申を可決。県は内務省に対し町村配置許可申請を行う。
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日刊 2面
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44
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昭和17年7月1日
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1942
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【鈴鹿町の誕生】鈴鹿町の町制開始は8月1日と内定した。
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夕刊 1面
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45
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昭和17年7月3日
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1942
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【郷土版】大政翼賛会県支部の貯蓄映画界は本月末より久間田、牧田、石薬師、野登を皮切りに行われる。
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夕刊 2面
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46
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昭和17年7月13日
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1942
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【河芸2町7か村合併白子を除き実現へ】関係町村長は態度を明らかにしない白子を除き1町7か村の合併を急ぐため、13日津市にて会合を開く。
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日刊 1面
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昭和17年7月21日
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1942
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【郷土版】各町村にて各日、食料増産激励映画会を開き、婦人団結成についての講演会を併せて行う。
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日刊 3面
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昭和17年7月24日
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1942
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【『鈴鹿市』の誕生 】鈴鹿市の建設が順調に進み、10月上旬には鈴鹿市の誕生を見る運びとなっている。
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昭和17年7月29日
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1942
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【郷土版】産業組合郡部会では全会員1銭ずつを輩出して軍用機献納貯金を造成する。
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日刊 2面
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昭和17年7月30日
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1942
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【郷土版】鈴鹿地方事務所では21日より8月末まで、午後の時間を心身鍛錬の時間とする。また、1日と15日は所内の清掃、9日は川崎村神社へ参拝する。
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日刊 3面
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