1
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昭和14年1月14日
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1939
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【鈴鹿航空隊参観許す】鈴鹿海軍航空隊では13日、隊内の参観を許し、小中学生や一般市民などが押しかけた。
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夕刊 2面
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2
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昭和13年2月9日
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1938
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【家政改善講習】鈴鹿郡農会が農村家政の改善に乗り出すこととなり、国府、井田川、庄野、高津瀬、牧田、石薬師、久間田、深伊沢、椿、庄内の主婦、青年子女のため農村女子家政改善講習会を開催することとなった。
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日刊 2面
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3
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昭和13年2月15日
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1938
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【輝く96家 けふ晴れの表彰】今次事変に一家から3人以上の応召軍人を出した県下96家庭に対し、その名誉を表彰した。96家の内河芸郡から○家、鈴鹿郡から○家が表彰された。
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日刊 2面
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4
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昭和13年4月8日
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1938
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【青少年義勇軍に76名が応募】満蒙開拓青年義勇軍第2次募集の応募者は76人に上った。合格者は5月に内地訓練を受け、7月に勇躍渡満する。また満州農業移民第8次先遣隊の募集につき県では移住相談会を開設する。採用者は1か月飯南郡粥見町の農林勧修場に収容し訓練の上、6月に渡満する。
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夕刊 2面
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5
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昭和13年4月14日
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1938
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【鈴鹿産組の報国貯金良好】県下全産業組合では貯蓄を積むことなり、鈴鹿郡への割り当ては3ヶ年で25万7400円となっているが、各産組は割り当て額をはるかに超え31万3200円の貯蓄をすることとなった。
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夕刊 2面
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6
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昭和13年4月24日
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1938
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【凡ゆる方法を講じ燃料2割浮かばす】鈴鹿、河芸茶業組合では国策として燃料節約が叫ばれているのに沿って燃料消費を減らすこととなった。
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日刊 2面
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7
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昭和13年5月11日
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1938
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【鈴鹿郡農会の甘藷増産計画】鈴鹿郡農会では燃料国策の線に沿って酒精の原料となる甘藷の増産をはかることとなった。
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日刊 2面
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8
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昭和13年5月24日
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1938
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【昴る貯金報国熱】政府の貯金国策に呼応して鈴鹿郡産業組合分部会では勤労報国貯金を組合員に訴えたところ32万円の応募があり、むこう3年間貯蓄することになっているが、更に『国民貯金』として各組合員が3か月間の掛け貯金に加入。
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日刊 3面
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9
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昭和13年5月26日
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1938
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【不便な山間部落へも喜んで勤労奉仕】鈴鹿高女生と三重県立女子師範学校生徒は農繁期となったので出征将士の家庭へ勤労奉仕を行うこととなった。
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日刊 3面
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10
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昭和13年6月9日
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1938
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【鈴鹿河芸2郡社会事務打合】鈴鹿、河芸両郡の援護事業並びに社会事務打合せ会を8日に開催。軍事援助法の施行や軍人遺家族の援助等について話し合った。9日には満州・南洋移民、母子保護法その他について協議する。
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日刊 2面
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11
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昭和13年6月19日
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1938
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【鈴鹿戸籍事務研究会開く】鈴鹿郡戸籍事務研究会では14日に事変に関する事務その他各町村提出の問題について討論、事務の統一を図った。
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日刊 2面
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12
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昭和13年10月22日
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1938
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【鈴鹿郡小学校体操科拡充】児童の身体強健、心身鍛錬を目的とし、庄内小学校で体操科の実地指導並びに郡内学童の体操大会が開かれる。
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日刊 2面
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13
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昭和13年11月2日
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1938
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【鈴鹿郷軍の軍術競技会】在郷軍人鈴鹿連合分会では射撃、銃剣、軍刀術競技会を開催した。
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日刊 3面
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14
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昭和13年11月7日
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1938
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【教室内の赤誠筒】鈴鹿高女生が教室に献金筒を設け、集まった13円88銭を献金した。
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日刊 3面
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昭和13年11月10日
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1938
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【海軍志願兵の県下割当決定す】14年度の県下海軍志願兵の割当てが決定。鈴鹿郡60名、河芸郡70名。
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日刊 2面
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昭和13年12月9日
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1938
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【鈴鹿航空隊外2隊を開設】海軍当局では時局に鑑み鈴鹿航空隊を開隊する。
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日刊 1面
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17
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昭和13年12月10日
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1938
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【河芸平野の偉容 鈴鹿海軍航空隊】新設された鈴鹿航空隊は早くも猛特訓が行われている。
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3面
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昭和13年12月11日
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1938
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【鈴鹿外3航空隊】新設された鈴鹿・筑波、鹿島の3航空隊を以って練習連合航空隊が新編された。
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日刊 1面
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昭和14年2月1日
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1939
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【鈴鹿川をはさんで壮烈な攻防戦を展開】歩兵33連隊の耐寒行軍演習は31日に開始され、鈴鹿郡国府村に到着し、東西両軍が鈴鹿川に沿って壮烈な攻防戦を行った後、露営した。
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夕刊 2面
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20
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昭和14年2月2日
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1939
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【戦線は北勢へ】歩兵第三三連隊耐寒行軍第2日目は国府村を出発し、午後に三重村に入り壮烈な攻防戦を展開、今夜は同村にて露営する。
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夕刊 2面
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21
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昭和14年2月7日
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1939
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【今年の海兵志願者激減】昭和14年度の県海軍志願者は前年に比べ205名減少した。鈴鹿郡45名志願、14名合格。河芸郡36名志願、18名合格。
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日刊 3面
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22
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昭和14年2月27日
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1939
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【高津瀬村児童の慰問文】鈴鹿郡国府村小学校では毎月児童が戦線勇士に慰問文を送っている。慰問文の内容記載。
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日刊 3面
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昭和14年3月1日
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1939
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【学郷一致の護り 銃後奉公会結成 国民皆兵の本義に基き 市町村を単位に】3月末までに、各市町村を単位に銃後奉公会を結成する。
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夕刊 2面
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24
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昭和14年3月7日
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1939
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【銃後奉公会設立】銃後奉公会の趣旨徹底のため、各郡町村長を開催する。
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夕刊 1面
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25
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昭和14年3月7日
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1939
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【徴兵検査】本年度の徴兵検査の日程について。
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夕刊 2面
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26
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昭和14年3月28日
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1939
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【石薬師校の興亜貯蓄】石薬師小学校では、去年6月から愛国貯金をしており、成績良好である。
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夕刊 2面
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昭和14年4月1日
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1939
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【木曽岬青年団鈴鹿航空隊見学】木曽岬青年団が鈴鹿航空隊を見学した。
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夕刊 3面
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昭和14年4月12日
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1939
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【行くぞ満蒙新天地】満蒙開拓青少年義勇軍として本県から送り出す第1回隊員114名が決定した。
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夕刊 2面
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昭和14年4月23日
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1939
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【“先生に海軍講習を”県下の選抜学校長決める】海軍知識、海防思想の普及のため海軍協会主催で5月10日から13日まで講習を開く。
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日刊 2面
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30
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昭和14年4月26日
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1939
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【郷土の殉忠勇士を永へに鎮めまつる】県内の戦死者193人が新たに県護国神社に合祀される。
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日刊 3面
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31
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昭和14年4月27日
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1939
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【工業地帯化に呼応 鈴鹿川の改修へ】鈴鹿川の改修計画の確立のため内務省の橋本技師が全流域を調査中である。
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夕刊 1面
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32
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昭和14年4月27日
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1939
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【県営大開墾事業】県下にはまだ開墾すべき土地があるので、県は大開墾の計画を進めている。
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夕刊 1面
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33
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昭和14年5月2日
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1939
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【戦塵渦巻く大陸に勇士に捧ぐ1年半】戦地で、傷病兵の看護をしていた落合よねさん以下19名が帰還した。
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日刊 3面
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34
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昭和14年7月21日
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1939
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【鈴鹿地方】各町村で防空訓練が行われ、良好な結果を得た。
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夕刊 2面
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35
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昭和14年8月9日
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1939
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【軍需農産物5品目生産費調査を実施】軍需農産物供出施設事業の一つとして5品目について調査を行う。
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日刊 2面
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36
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昭和14年9月13日
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1939
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【鈴鹿中堅職員精神文化講習】鈴鹿郡各小学校の職員二十数名は講師を招き、3日間の精神文化講習を開く。
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日刊 3面
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37
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昭和14年9月15日
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1939
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【割当貯蓄は3000万円】県は今年度中に1億の貯蓄を計画、その内3000万を国民貯蓄組合に割当て、近く貯蓄の調査を行う。
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夕刊 2面
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38
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昭和14年10月6日
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1939
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【郷軍の功労者表彰】県下47名を戦時下において功労のあった者として表彰する。
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日刊 3面
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39
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昭和14年10月22日
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1939
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【学童の作品を白衣勇士へ送る】鈴鹿郡教育会は、郡内の各小学校児童の慰問作品のうち優秀なものを慰問品とともに送る。
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日刊 3面
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40
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昭和14年11月2日
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1939
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【赫々の武勲偲ぶ勇士の遺品展ひらく】井田川小学校では児童教育のため、村内の戦死勇士の履歴を調査し遺品を展示する。
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日刊 3面
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41
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昭和14年11月5日
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1939
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【鈴鹿郡農会】鈴鹿郡の農会は休閑地を利用して小麦や菜種を作付し、農作物の増収を図る。
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日刊 2面
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42
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昭和14年11月6日
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1939
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【鈴鹿の籾摺賃】鈴鹿郡動力農具利用組合は籾摺賃を協定した。応召勇士遺家族は18銭である。
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日刊 2面
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43
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昭和14年11月25日
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1939
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【町から里から(鈴鹿)】亀山町大字東町青年団は亀山小学校と協力し慰問袋を作成中である。他井田川村の記述有。
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日刊 2面
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44
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昭和14年11月25日
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1939
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【溌溂と踊る健康美】女子師範・鈴鹿高女では例年通りマラソン大会が行われ日ごろの訓練の成果を発揮した。
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日刊 3面
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昭和14年12月3日
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1939
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【聖汗報告講演】此度帰国した興亜青年勤労報国隊の鈴鹿郡内隊員の講演会を7日に行う。
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日刊 3面
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昭和14年12月5日
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1939
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【鈴鹿航空隊将士 債券報国の美挙】事変貯蓄債券の団体での最高申し込みは、鈴鹿航空隊の15000円である。
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夕刊 2面
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47
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昭和14年12月10日
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1939
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【重慶空爆の猛将】津中卒業の増田大佐が今回鈴鹿航空隊付となり、津中の同窓生が早くも歓迎準備を始めている。
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日刊 3面
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昭和14年12月12日
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1939
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【9・18協定価格】9・18の停止令に基き、知事が認可する協定価格が設定された。
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日刊 2面
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昭和14年12月25日
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1939
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【報国農場で作業】鈴鹿高女の生徒は、休暇に入っても冬季鍛練として報国農場で作業を続けた。
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日刊 2面
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50
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昭和15年1月9日
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1940
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【閏年に舞う椿社の獅子舞】閏年の獅子舞は椿社と河芸郡の稲生村の2ケ所が有名であるが、郡民は、神助により事変解決がみられればと願っている。
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夕刊 2面
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