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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
地域 |
1
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昭和13年2月9日
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1938
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【満州移民をつくる 分村計画実行へ】県経済更生課では発展の余地なき農山漁村を調査し経更を図るべく、鈴鹿郡久間田村他3か村、計4か村において分村計画懇談会を開催。分村計画は単なる隣村への移住ではなく、満州へ移住させ居村を発展させるものである。
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日刊 2面
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2
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昭和13年2月13日
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1938
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【祖国愛に燃ゆ 第2世の義金】鈴鹿郡久間田村出身の田中磯吉氏が30数年前渡米し築いた巨万の富を継いだ長男平次郎氏は、今回の支那事変において応召し奉公の誠を至している故国の親友知己に報いるために金1000円を同村の社会事業費に寄贈した。
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日刊 3面
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3
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昭和13年3月3日
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1938
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【征け開拓者】県下経済更生指定村の満州国への分村について今日までに計画が樹立されつつある鈴鹿郡久間田村を含む5か村は具体的方策を協議するため久間田村他2か所で懇談会を開催する。
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日刊 2面
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4
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昭和13年3月10日
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1938
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【誉れの軍人の家】現在で一家より3人以上の兵役服務者を出した軍人の家を陸軍大臣から表彰した。鈴鹿郡からは久間田村、深伊沢村、一ノ宮村、栄村、河芸郡からは栄村、玉垣村の各家が表彰された。
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日刊 2面
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5
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昭和13年12月18日
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1938
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【学童の慰問文に感謝の送金】久間田村出身の北川藤正軍曹は同村小学校生からの再三の慰問文に感謝し同校長宛に児童体育費として20円を送金した。
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日刊 3面
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6
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昭和13年12月27日
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1938
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【感激の拍手】久間田村小学校の安藤昭一君、河北和子さんは往復1里の氏神様へ毎日参拝している。
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夕刊 2面
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7
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昭和14年1月18日
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1939
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【大きくなったら是非一度大陸へ】久間田村出身で軍隊に属している大久保恒治氏は10日母校に激励の軍信を送った。
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夕刊 2面
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8
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昭和14年8月12日
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1939
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【荒土に見事実る】久間田村青年学校教諭の鈴木氏は荒土に大豆などを植え、この度見事に収穫することができた。
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日刊 2面
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9
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昭和14年8月19日
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1939
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【夫応召記念の一銭貯金献金】米川こらくさんは夫の応召以来貯金をしていた7円11銭を、夫の帰還が許されたので国防献金した。
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夕刊 2面
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10
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昭和14年11月12日
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1939
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【労務動員協議会】労務動員供出への協力のため県下324町に常設、久間田村はトップを切り、会議を開催する。
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日刊 2面
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11
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昭和17年9月15日
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1942
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【六人兄弟武勲を競ふ】片岡寅吉氏の家庭は11男3女の子宝に恵まれ、6人の息子をそれぞれ戦地へ送り出した。
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日刊 3面
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12
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昭和18年3月9日
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1943
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【警防団へ2000円を】漬物商田中太一氏は先に同村忠魂碑建設費として3000円を寄付したが、今回警防団詰所建設に当たり、率先して資金2000円を寄附し辻井亀山所長は感激している。
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日刊 3面
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13
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昭和20年6月15日
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1945
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【藷の早期挿苗】義勇隊結成下打合会において甘藷の早期挿苗の遂行が申し合わされた結果、予定日より早く昨年度の約2倍の割当作付を完遂した。
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日刊 2面
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14
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昭和30年10月18日
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1955
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【久間田非公式に申入れ 四日市市への合併】鈴鹿郡久間田村は非公式に合併を申し入れ。全村民合意の正式申し入れなら受理するとの返答。同村は昨年合併問題で2派に分かれ分村合併問題にまで発展。
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日刊 1面
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