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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
地域 |
1
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昭和13年1月12日
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1938
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【21の遺骨を抱いて南京城頭、紅涙下る】鈴鹿郡国府村出身の森英生中尉から、11日、母校教諭金子実氏に宛て陣中手記を寄せて来た。
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日刊 3面
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2
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昭和13年2月8日
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1938
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【名誉の戦傷死】江南戦にて活躍した鈴鹿郡国府村出身の伊藤健次郎一等兵は○○陸軍病院で名誉の戦傷死を遂げた。
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日刊 3面
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3
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昭和13年3月4日
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1938
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【銃後の守は台所から 農村主婦の申し合わせ】鈴鹿郡国府村、神辺村では、戦時体制下の銃後の農村婦女子として次のことは必ず守りましょうと申し合わせて戦時農村の主婦の意志を高らかに示した。
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夕刊 2面
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4
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昭和13年12月8日
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1938
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【生も死も運まかせ】戦死を遂げた国府村出身森覚左衛門伍長から同郷の母に便りが届いた。
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夕刊 2面
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5
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昭和14年2月17日
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1939
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【海の荒鷲兎狩り】鈴鹿海軍航空隊は16日に強行軍をかね、鈴鹿山麓の国府山一帯で大兎狩りを行った。
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日刊 3面
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6
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昭和14年2月28日
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1939
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【男も女も一生懸命】国府村では昨夏の水禍で十数町歩の水田が泥海となり、今年1月から復旧作業が開始され、男女総出で作業をしている。
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日刊 3面
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7
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昭和14年8月19日
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1939
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【蒙疆へ行く電話交換手】新尾時子さんは今回選抜をうけ、蒙疆へ行くこととなった。
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夕刊 2面
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8
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昭和15年6月25日
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1940
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【荒地開墾作業完成】青年学校・小学校合同で開墾した畑で同校の継続事業として農産物の多収穫を目指す。
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日刊 2面
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9
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昭和15年7月6日
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1940
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【緬羊飼育に成果】鈴鹿郡では羊を飼育し去年初の出荷をした。これは非常に有利な事業として期待されている。
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日刊 2面
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10
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昭和15年9月6日
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1940
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【人夫不足を克服し造田測量に着手】3村連合水田増設計画は人夫不足が難問となっているが、何等かの方法で解決し近く着工する。
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日刊 2面
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11
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昭和17年8月9日
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1942
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【私有林を自発的開墾】郡内では個人が率先して所有林の自発的開墾が行われている。
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日刊 2面
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