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刊行年月日 |
西暦 |
伊勢新聞の【見出し】内容 |
掲載 |
地域 |
1
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昭和13年2月8日
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1938
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【井原中尉ら8勇士白衣の凱旋】南京紫金山の激戦で名誉の負傷をした井原中尉以下八勇士は6日朝衛戊地陸軍病院に凱旋、療養することとなった。八勇士の1人に鈴鹿郡庄内村出身の山田正一氏。
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夕刊 2面
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2
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昭和13年10月2日
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1938
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【母校へ奮戦便り】庄内村出身の古川義男勇士、古市治勇士から同村一見校長のもとに軍信が寄せられた。
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3面
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3
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昭和13年11月2日
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1938
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【納税の優良町村組合、功労者を表彰】鈴鹿郡庄内村が納税優良市町村として表彰された。
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日刊 2面
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4
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昭和13年12月3日
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1938
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【敵弾を3度うけても なお突撃敢行】庄内村出身の大平上等兵は名誉の戦死を遂げたが、戦友の便りで敵弾を3度もうけながらも進撃したと戦闘振りが報ぜられた。
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夕刊 2面
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5
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昭和13年12月13日
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1938
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【冬期体操講習】国民体力向上と小学校体操研究のため大里、庄内両校主催で冬期体操講習を行った。
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夕刊 1面
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6
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昭和13年12月27日
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1938
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【庄内村国婦の銃後活動】庄内村の国防婦人会では援助奉仕や国防献金を行っている。
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夕刊 2面
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7
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昭和15年2月17日
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1940
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【この事実を何と見る】村の青年の大半が軍需景気により都会へ流れているため、引き留め策を考究中である。
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日刊 3面
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8
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昭和15年7月8日
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1940
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【桑皮を1000貫】同村小学校は児童の勤労作業として桑剥皮作業を行い、900貫を得、これを売却し同校基金とする。
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日刊 2面
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9
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昭和15年8月24日
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1940
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【家庭実習指導】庄内村青年学校は技術の指導などが実生活と不即不離のものであるとして家庭実習指導を設けた。
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夕刊 3面
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10
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昭和16年7月17日
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1941
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【義勇軍講習会】庄内村国民学校で30日~8月1日の3日間満蒙開発青少年義勇軍拓殖講習会を開く。
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日刊 2面
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11
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昭和17年6月8日
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1942
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【郷土版】庄内村国民学校では桑皮の収集を行っているが、渡瀬校長は児童らに「頭よりも体格」の理想を説く。
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日刊 3面
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12
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昭和17年9月17日
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1942
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【郷土版】農作物をねらう野猪の退治、毛皮国策のため、毎夜交代で警戒するとともに一頭5円の謝礼金を用意したところ、今月で2頭捕獲に成功した。
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日刊 3面
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13
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昭和17年11月17日
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1942
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【郷土版】庄内村元村長故藤井秀光氏の遺族秀雄氏は亡父の遺志により300円を国防献金、200円を同村銃後奉公会にそれぞれ寄付した。
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夕刊 2面
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14
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昭和18年6月4日
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1943
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【赤誠集】金本成一氏は陸海軍の戦果に感激し、国防献金として亀山署へ10円を寄託。
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夕刊 2面
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15
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昭和18年7月26日
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1943
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【赤誠集】国民学校全児童は山路採取した100貫を売却し、得た42円40銭を兵器献金とした。
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日刊 4面
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16
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昭和18年10月13日
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1943
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【誉の家】早川一男氏宅では息子5人中4人が出兵し、5男は徴兵の日を待っている。
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日刊 3面
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17
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昭和19年9月8日
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1944
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【翼賛団報】2日、庄内村にて月明日の慰問相撲会が行われた。
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日刊 4面
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