伊勢新聞データベース

キーワード:鈴鹿郡椿村
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No 刊行年月日 西暦 伊勢新聞の【見出し】内容 掲載 地域
1 昭和13年4月12日 1938 【(尾鷲出身の福山中尉重傷に屈せず生還) 田中曹長の放れ業】北京での激戦において旧黄河に不時着した下方曹長を椿村出身の田中林平曹長が発見、敵機を蹴散らし見事救出した。 夕刊 2面
2 昭和13年4月12日 1938 【誠化校の児童献金】椿村誠化校小学校児童5名が小遣い及び学用品の節約や履物の売却で得た金1円51銭を国防献金した。 夕刊 2面
3 昭和13年11月2日 1938 【昨日原隊へ帰還】石谷・山田両隊の戦傷または病人が帰還し陸軍病院に入った。その中に椿村出身者1名が含まれる。 夕刊 2面
4 昭和14年12月3日 1939 【学童が汗の献金】椿村小学校の児童は茶の実と野生ラミーを採取して得た65円と軍人家庭への勤労奉仕に対する感謝として贈られた5円を共に国防献金した。 夕刊 2面
5 昭和16年5月25日 1941 【送り迎えは兄ちゃん姉ちゃん】椿村国民学校では27日から8日間託児所を開催し、職員・児童共に児童の世話を行う。 日刊 3面
6 昭和16年12月7日 1941 【地方色(何と古銭1万枚)】椿村山本さんは古銭1万枚を、大塚さんは同じく840枚を国防献金した。 夕刊 2面
7 昭和17年9月20日 1942 【出征勇士の美学】中村芳次郎一等兵曹は出征の際、旧知の人間から餞別を贈られたが開封せず、村の銃後奉公会へ寄付した。 夕刊 2面
8 昭和17年9月22日 1942 【運命の子を育て上ぐ】植村きぬ氏の夫は病身の我身を憂えて自害し、きぬ氏はその後20余年にわたって苦労を続けたが、3人の子を育て上げた。 夕刊 2面
9 昭和18年4月14日 1943 【各種団体便り】椿村では各人10点ずつの衣料切符節約運動の結果、25000点を12日鈴鹿地方事務局に返納手続きをした。 日刊 4面
10 昭和18年5月28日 1943 【恩賞に輝く海の勇士】故小谷昌一二等兵曾は功六旭六の行賞に輝く。 日刊 3面
11 昭和18年8月11日 1943 【椿村開墾の娘子軍】県下女子青年団では2日から期間を割って、各地区の団員が内原訓練所の開墾義勇軍に協力、炊事作業に奉仕する。 日刊 3面
12 昭和18年8月13日 1943 【女青の心尽しに舌鼓】横堀地区の県営開墾地にて、3日より勤労作業を続けている少年義勇軍は慰問隊の協力を得つつ、30日まで勤労予定。 夕刊 2面
13 昭和18年8月13日 1943 【先輩と共に聖鍬を揮ふ】桑名・員弁地区の1市2郡の国民学校41校中より、義勇隊志望の少年を1名ずつ計41名募集し、椿村にて19日より3泊4日間、拓殖訓練に参加させる。 日刊 3面
14 昭和18年9月19日 1943 【老母も共に認む願書】大岩すぎ氏は五男の俊治氏を海軍志願兵募集に応募させ、徴募の日を待っている。 日刊 3面
15 昭和19年3月24日 1944 【翼賛団報】椿村支部では21、総会を開き、次期幹部と会員の表彰式を行うとともに、会員家庭の生活改善について他の規範となる4氏に表彰金一封を贈った。 日刊 4面
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