伊勢新聞データベース

キーワード:鈴鹿郡高津瀬村
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No 刊行年月日 西暦 伊勢新聞の【見出し】内容 掲載 地域
1 昭和13年1月12日 1938 【誉れの戦死者 高津瀬 北野一等兵】鈴鹿郡高津瀬村出身北野浅吉一等兵は10日陸軍病院で名誉の戦傷死を遂げた。 夕刊 2面
2 昭和13年6月29日 1938 【勇士の家族へ 部隊長の至情】高津瀬村出身の豊田力郎曹長は目下第一線で武勲を輝かせているが、農繁期を控えた勇士等の留守宅を案じ、部隊長から慰問状が届き村民を感激させた。 日刊 3面
3 昭和13年11月13日 1938 【石谷部隊の武勲燦然 この英霊に感謝せよ】石谷部隊16名の戦死が公表された。 日刊 3面
4 昭和13年12月17日 1938 【武運祈願と墓参】高津瀬村国防婦人会では武運祈願、銃後奉公を宣言するため村内3神社に参拝、小学校で団結記念公演会を開催した。 夕刊 2面
5 昭和13年12月18日 1938 【老体の続く限り献金も長期戦で】高津瀬村の辻喜代松さんは雑茸を取って売却した金を2回にわたり献金した。 夕刊 2面
6 昭和14年3月16日 1939 【高津瀬村の献金爺さん】茸狩りや落ち松葉を拾い集めて売却し、何度も献金をし、感謝されている。 夕刊 3面
7 昭和14年9月12日 1939 【高津瀬村葬】北支杉山部隊宣撫官であった天野氏が7月5日に名誉の戦死を遂げた。13日に村葬式が行われる。 夕刊 2面
8 昭和14年9月13日 1939 【高津瀬村の開墾】農林会による高津瀬村の3年がかりの開墾事業の実地調査が行われた。 日刊 2面
9 昭和14年12月20日 1939 【新しき農土拓け】村営の3か年計画が着々と進んでおり、様々な農産物の収穫増が見込まれている。 日刊 2面
10 昭和15年1月11日 1940 【海軍講演会県下各地で開く】海軍協会は、海軍人事部第1課長山内秀夫・海兵団副課長太田寛大佐を招き、講演会を開く。 日刊 3面
11 昭和15年11月23日 1940 【自作農開墾は進展】高津瀬村の村営自作農開墾5か年計画事業は順調に進んでおり現在20余名が移住している。 日刊 2面
12 昭和16年2月28日 1941 【郷土部隊の慰問使決まる】大陸で活躍する郷土部隊慰問のため派遣する慰問使が決定。 日刊 3面
13 昭和17年5月2日 1942 【中堅青年移住】村営5か年開墾事業は70町歩にわたり、中堅青年の移住宅、共同作業場等の施設も竣工されている。 日刊 3面
14 昭和17年6月17日 1942 【高津瀬村営開墾を農林省が現地視察】13日、農林省農政課長戸島事務官は高津瀬村の現地視察を行い、開発後の指導経営方針等今後における方針事項について調査。 夕刊 2面
15 昭和17年10月27日 1942 【郷土版】伊藤しな氏は1日1銭貯金を行い銅貨365個を亀山署へ献金した。 日刊 3面
16 昭和17年10月30日 1942 【郷土版】高津瀬村では鈴鹿市の建設にともない村内の新官舎を建設し、11月中旬に新官舎へ移る予定である。 日刊 3面
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