鈴鹿の伝統技術・伊勢型紙をみる
江戸時代以降、伊勢型紙は、型紙商人の活躍によって全国各地の紺屋 (染物屋)に届けられ、日本の染色史に大きな影響を与えました。その技術は、江戸時代から脈々と受け継がれ、1955(昭和30)年に、6名の「重要無形文化財保持者(人間国宝)」を輩出するに至ります。現代では、日本の服飾文化を支える重要な用具を作成する技術として、国の重要無形文化財に指定されています。ここでは、鈴鹿市が所蔵する伊勢型紙のコレクションをご紹介します。
伊勢型紙とは
伊勢型紙は、和紙を柿渋で張り合わせた強靭さゆえに、長年の使用・保存に耐え、現在まで受け継がれたものも少なくありません。その多彩なデザインと連続パターンが生み出す精緻な文様の美しさは、人々を魅了し、近代以降、国内外で美術工芸品としての価値も見出されています。本来は生地を染めるための道具ですが、高度な技術を駆使して彫り抜かれた型紙は、伝統的な幾何学文様や様々な風物を取り入れた装飾文様など、美しいデザインの宝庫であり、その精緻さには見る者を圧倒させる迫力があります。
伊勢型紙の技法
伊勢型紙は、修行を積んだ職人の手により生まれます。突彫、錐彫、縞彫、道具彫の4つの彫刻技法と図柄を固定させるための糸入れという技術があります。彫刻技法ごとに異なる彫刻刀を用います。
伊勢型紙の文様
日本人は古来から、季節の移り変わりや自然を肌で感じ、身に着ける文様の中に四季折々にふさわしい季節感や様々な願いを込めてきました。
寒の頃には、椿や南天、春を待ちわびる梅の花。
早春には、蝶や桜。
夏になれば涼しさを演出する流水や貝、金魚。
やがて、菊や紅葉が登場し、季節が深まると雪や松、枯山水。
そして、正月にはおめでたい松竹梅や鶴亀などの吉祥紋。
ここでは、先人が生活の中に取り入れてきた伊勢型紙の文様のバリエーションの多さや美しさを感じていただきたいと思います。
植物
動物
自然
器物
割付
その他
伊勢型紙用語集
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型地紙型地紙は、非繊維質の量や漉き方にも配慮した専用の極薄い楮紙を数枚、繊維方向がタテ・ヨコ・タテとなるように柿渋で貼り合わせて作製します。良質な型地紙の場合、天日で渋を自然乾燥させた後、数年寝かせて自然に枯らしてから彫刻します。
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突彫(つきぼり)最も古い技法で、細い小刀で垂直に突き刺すように前方に彫り進めることで文様を彫り出します。曲線や鋭角を描くのに適しており、絵画的な図柄に用いられます。7~8枚の型地紙を重ねて一度に彫るため、下の地紙まで刃が通るように穴が空いた板(穴板)を敷いて作業します。
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錐彫(きりぼり)細い半円筒形の錐のような彫刻刀を型地紙に垂直に当て、半回転させることで円形の孔を作る技法です。彫る文様によって数種類の錐を使い分け、穴の配置によって文様を作り出します。「小紋三役」と呼ばれる「鮫」、「行儀」、「通し」など非常に細かい文様はこの技法で彫られています。
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道具彫(どうぐぼり)彫刻刀の刃先が文様の形をしており、一突きで文様を彫り抜く技法です。花弁(♡)や四角(□)、三角(△)、菱(◇)など何種類もの彫刻刀を組み合わせ、整然とした文様を作り出します。道具彫の彫師は、道具を自ら手作りするのが通例であり、親や師匠から受け継いだものも含めて大量の彫刻刀を所有しています。
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縞彫(しまぼり)鋼の定規をあてて、刃を手前に引くことによって筋を彫る技法です。江戸後期からみられるようになり、文様が切れないよう補強する「糸入れ」が必要です。一定幅に彫る「きまり筋」では、一寸(約3cm)に入る筋の本数によって様々な名前が付けられており、「極微塵」といわれる最上のランクで、33本の筋が入ります。
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糸入れ縞彫や「地白」という白い部分の多い型紙の文様を安定させるための補強技術です。2枚に剥がされた型紙の間に生糸を挟み入れ、柿渋で貼り合わせて柄を固定します。大正時代に「紗貼り」の技法が考案されてからは、糸入れ型の数は減少しました。
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複数型二枚型(主型・消型)、追掛型、反数型などの種類があります。一枚の型で柄を染めるためには、文様全体が繋がっている必要がありますが、「白地に丸」のように一枚の型紙では柄が抜け落ちてしまう文様の場合は、複数の型紙を用います。二枚型では、「つり」と呼ばれる文様のつなぎを残して彫った型紙(主型・おもがた)と、「つり」を消すための型紙(消型・けしがた)を作成し、主型で糊を置いた上から消型で糊を重ねて置くことで文様が完成します。また、多色で染める場合にも複数の型紙を用います。型友禅などでは型の数が数十枚に及ぶこともあります。
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型染最も一般的な型紙の染色方法は、防染糊を使う方法です。生地の上に置いた型紙の文様部分に糊を置き、順次型紙をスライドさせて連続模様になるように型付(糊を置くこと)していきます。生地を染めて糊を洗い流すと、糊の部分は白く染め残ります。柄がずれないように型を送る技術と正確に天地が合う型紙を彫る技術が必要です。
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小紋小さな文様を小紋と呼び、武士の裃に用いられました。やがて、粋を好む江戸の町民の間で流行しました。今日では、柄の大きさではなく、絹地に型染したものを小紋と呼びます。
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中形本来は小紋に対して中柄の文様を指しましたが、江戸時代に木綿地の両面に糊置し浸染した中形の浴衣が流行し、木綿の浴衣地に用いられるものを中形と呼ぶようになったようです。現在では、様々な染色技術が開発され、浴衣以外にも広く用いられています。
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型紙の寸法型紙の大きさは、手漉き和紙の規格に準拠した「八丁判」(約53×90cm)を定判として、それを半切した「四丁判」(約45×53cm)が小紋や中形の基準となりますが、時代や用途によって様々な大きさの型紙が作られました。
※型紙の寸法は原則として、外寸(型天地×型幅)と文様部分のサイズ(彫天地(送り)×彫幅)を計測しました。