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IIIFビューア
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ジャンル 和本
資料ID 2014_WA_023
地点番号
地域 谷中
資料名1 草木育種
資料名1かな そうもくそだてぐさ
資料名2
資料名2かな
シリーズ名
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 26.1×17.9×2.5
判型
時代 江戸
成立年月日 文化15年(1818)正月
成立年月日終
改印(検印)
作者名 岩崎灌園/著
屋代弘賢/序
作者情報
署名等
発行者名 千鐘房
玉山堂
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印
件名 園芸 植物
スタンプ
画中文字
展示履歴 「谷中の自然を見る 本草学者・岩崎灌園の世界」(2015/06/19~/09/16)、「蘭学者がつづる江戸 柴田収蔵日記」(2016/06/17~09/14)、「外国人が見た台東区」(2020/06/19~09/13)、「台東区の大名屋敷と大名庭園」(2020/12/18~2021/03/14、06/18~09/12)。
解説 「谷中の自然を見る 本草学者・岩崎灌園の世界」:序文は、『古今要覧』で灌園を見い出した屋代弘賢が寄せる。そこには、先人の説が時代遅れである点を改善しようと、書物を探り、秘伝を集め、考証を加えた原本「灌叢秘録」のことが記される。本書の版心(折目の部分)に、「灌叢秘録」の文字が刷られる丁もある。当時灌園に著作はなく、本書が世に出たのは、幕府の有力者、屋代のおかげである。そして、灌園の名を高めたのも本書であった。雲母刷で氷をイメージした氷結文の表紙だが、この後は水色の一般的な表紙になる。
「蘭学者がつづる江戸 柴田収蔵日記」:本書は園芸ハンドブック。収蔵が特に植物に興味を持っていた記述は日記から読み取れないが、天保14年(1843)5月29日には、ナデシコと蕃椒の植えられた庭を目撃し、その翌日本書を見ている。さらに同年6月12日には、屋代弘賢の序文を模写したとあり、植物への興味から屋代の美しい平仮名でつづられた雅文へと関心を移していった。
「外国人が見た台東区」:現代でも通用する技術を、簡易に解説した江戸後期の園芸書。「天目松の仕かたは甚むづかしきもの」として、枝を針金で曲げ、古木の姿を人工的に作りあげる方法を記す。この技法は、明治期に流行する盆栽にも応用された。幕末に訪日したヨーロッパ人が感嘆した日本の園芸技術は、本書をはじめとする書物による知識の普及によって浸透していった。作者の岩崎灌園は、本草学者で、谷中に塾を開き、シーボルトとも最初の来日時(文政9年・1826)に面会を果たしている。
「台東区の大名屋敷と大名庭園」:谷中の本草学者・岩崎灌園の園芸書。本書板行を後押ししたのは、序文を記した屋代弘賢である。幕府祐筆の屋代は、百科事典『古今要覧稿』、武家家系図『寛政重修諸家譜』などを編纂し、博学を誇った。研究会「三五会(さんごかい)」を主宰し、この会に岩崎灌園がいた。同会の参加者の曲亭馬琴は、同時代の「耽奇会(たんきかい)」に後から参加しており、屋代の縁からと考えられる。また、耽奇会から派生した「兎園会(とえんかい)」にも、耽奇会メンバーの山崎美成、屋代、馬琴が重複して参加している。屋代の蔵書は、居住地域にちなんだ「不忍文庫」と呼ばれ貴重書に富んでいたが、移管先の徳島藩阿波国文庫の火災のため大部分が失われた。現在、国立国会図書館や国立公文書館などに伝わっている。
備考 2巻2冊。
「江戸書肆 千鐘房/玉山堂合刻(見返し)」
「みなもとの弘賢書(序)」
「文化丁丑至日書于又玄堂岩崎常正/「岩崎/常正」(白文方印)「灌園/之印」(方印)/[コウ]南関克明書「克」(白文方印)「明」(白文方印)(序)」
「文化十五戊寅正月/京都書林 京堀川通仏光寺下ル 植村藤右衛門/大坂書林 心斎橋南久宝寺町 泉本八兵衛/江戸書林 日本橋通壱丁目 須原屋茂兵衛/ 同弐丁目 山城屋佐兵衛(奥付)」
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 刊写:刊本
形態:冊
様式:刊本
色:モノクロ
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