ジャンル
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和本
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資料ID
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2018_WA_010
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地点番号
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地域
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浅草
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資料名1
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絵本江戸土産 六編
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資料名1かな
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えほんえどみやげ ろっぺん
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資料名2
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資料名2かな
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シリーズ名
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英文タイトル
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縦・横・厚(cm)
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18.1×12.2×0.9
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判型
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時代
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江戸
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成立年月日
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刊年不明
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成立年月日終
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改印(検印)
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作者名
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歌川広重(初代)/画 松園松彦/序
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作者情報
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署名等
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発行者名
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菊屋幸三郎
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版元印
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撮影地点・方角
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彫師
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蔵書印
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件名
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今戸焼 助六人形 とんだりはねたり シジミ 都鳥 今戸梅林 隅田川 橋場の渡し 酉の市 酉の町 熊手 長国寺 鷲神社 日本堤 山谷堀 衣紋坂 見返り柳 新吉原 仲之町 桜 浅草奥山 浅草田圃 猿若町 浅草寺 金龍山 観音堂 本堂 弁天山 雷門 風雷神門 広小路 並木茶屋 浅草御門跡 本願寺 柳原土手 神田川 柳橋料理屋
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スタンプ
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画中文字
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展示履歴
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「台東区の縁日」(2018/09/21~2018/12/16)、「江戸の旅日記を読む」(2019/06/21~09/16)、「絵本江戸土産~広重が描いた台東区~」(2021/09/17~12/12)、「台東区の古代・中世」(2022/06/17~09/11)、「貴重資料から見る台東区の道」(2023/03/17~06/11)、「台東区の橋」(2023/09/22~10/18)、「台東区の池と堀」(2024/09/20~12/15)、「地誌の見方・調べ方」(2025/02/21~06/15)。
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解説
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「台東区の縁日」:「酉の市」は、転じて「酉の町」とも称した。文末に「熊手と唐(たう)の芋をひさく(ぐ)を当社の例とす」とあり、熊手だけでなく唐の芋(サトイモの一種)も江戸時代から売られていたことがわかる。画面下半分は、あたかも水が流れているかのように描かれているが、浅草田圃を表現したもの。裏側から描く熊手は、構図として面白い一図である。本書『絵本江戸土産』は、初代広重が描いたオールカラーの絵本。台東区内の名所も数多い。
「江戸の旅日記を読む」:本書『絵本江戸土産』は、初代広重が描いたオールカラーの絵本。台東区内の名所も数多く、「浅草御門跡(ごもんぜき)」として東本願寺が掲載されている。文末に「東都第一の大御堂なり」とその堂の威容が有名であったが、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した。旅日記では、詳しく書かなくても、東本願寺を見たと記すことが多い。
「絵本江戸土産~広重が描いた台東区~」:【金龍山奥山裏田圃】浅草北部にはかつて田園地帯が広がっていた。詞書には「耕地広くして夏より秋に至り稲葉風になびきて緑の波かと疑ひ、夜は数万の蛍飛びかひて暗夜の星とあやまたる。冬月雪中の気色、春時苗時代(なはしろとき)のありさま、詩歌の遊客愛翫の勝地といふべし」とある。
【猿若町】猿若町は江戸時代にあった芝居町で、歓楽街として繁栄していた。詞書には「一丁めは中むら勘三郎、二丁めは市村羽左衛門、三丁めは河原崎権之助、この外操座(あやつりざ)あり。早春より年の尾に至り、六換(むかはり)の興行、人の山をなし、櫓太鼓の音絶えず」とある。
【今戸瓦竃(かわらがま)】江戸時代から明治時代を中心に、今戸やその周辺で製造販売された焼き物を今戸焼という。瓦、日常生活道具、土人形、工芸品などを製造販売し、江戸の住人の需要に応えていた。詞書には「この所は山谷に隣り、隅田川の西岸なれば、風景元よりよきがうへに、この所にて瓦を製す。竃幾個(いくつ)か連なりて口をひらくとき、立ち昇る煙は蜑(あま)が塩屋に異ならず」とある。
「台東区の古代・中世」:初代広重が描いたオールカラーの絵本。左側にある詞書に「橋場の渡し/橋場町の末にあり。これそのむかし石浜とよびて古き戦場の趾(あと)なりといふ。隅田川の風光はこゝらにまさる所なし」とある。古き戦場とは、『太平記』にある南北朝期の石浜合戦のことと考えられる。
幕末に編纂された本書は、浅草花屋敷など同時代の新しい名所の記事がある点が特徴である。しかし展示部分のように、中世を振り返りその由緒を強めている点も見受けられる。
「貴重資料から見る台東区の道」:【衣紋坂見帰柳】「右日本堤より西の方へ入れば新吉原町也。その下り口に一本の柳あり。これを見返り柳といふ。またその下り口を衣紋坂といふ」とあるように、山谷堀から日本堤まで舟で来て、土手を下って遊郭の入口に至る坂を衣紋坂と呼んでいた。衣紋とは和服の襟のところ。ここで衣服を整え、吉原を訪れたため衣紋坂と呼ばれた。
「台東区の橋」:江戸の名所を絵で紹介した『絵本江戸土産』。初編から七編までを初代広重が、十編までを二代広重が描いた。『絵本江戸土産』は、広重晩年の大作「名所江戸百景」の下絵になったとも考えられている。
下方に架かっている橋が柳橋である。詞書によれば柳橋界隈は料理店が多いとあり、柳橋は隅田川舟遊びの拠点となっていた。
「台東区の池と堀」:【其二 同所 弁天山】浅草寺の弁天山を描いた丁を展示。詞書には、仁王門(宝蔵門)前の右方にあり、麓に大きな池があることが記されている。
「地誌の見方・調べ方」:【浅草御門跡】 説明文には、本願寺の初代住職の名、年中行事を日程とともに記す。対して広重の絵は、雲の上から頭を出す本堂の姿と、その東側を走る新堀を描く。本堂の屋根の大きさを際立たせたいがために、雲で画面を遮り、手前の新堀を下方に描いているが、本図では2つの図を並べた印象を抱かせてしまっている。とはいえ、「江戸名所 浅草東本願寺の図」や『江戸名所図会』のようにすべて描いてしまうと、屋根の大きさが目立たなくなってしまうので、苦肉の策の構図といえよう。
【新吉原仲之町植桜】説明文では、「春時満開の桜を植て芳野初瀬をこゝに模(うつ)せり」と、いささか大げさな文言であるが、和歌に多く詠まれた吉野にあやかった桜の名所として吉原の桜を挙げている。2代広重が描いた「江戸名所 新よし原」のように妓楼の2階と桜を描く構図は、盛んに制作された。画題が吉原のとき、雨や雪の景色も描かれるが、最も多いのは桜の風景であり、それは明治時代でも変わらなかった。
【日本堤 山谷】日本堤、山谷の辺りを「見どころ多し」と説明するが、田畑が続く田園風景で、実はこれといった名所はなく、吉原への入口というのが最大にして唯一といえよう。説明では「小塚原の地蔵が見える」「雪の日が絶景」と述べるが、絵師・広重は、秋の風景を描き、小塚原刑場の地蔵(現、荒川区南千住)までは描いていない。画面中央に駕籠が一挺不自然に描かれているのも、吉原に至る五十間道を強調したものであろう。
広重は、「名所江戸百景」でも秋の風景として描き、さらに吉原が活発になる夕方から夜に変化している。
【今戸瓦竈(いまどかわらがま)】松亭金水による説明には、「風景元よりよきがうへに、この所にて瓦を製す竈幾個が連なりて口をひらくとき立昇る煙は蜑が塩屋に異ならず」と、この辺りが元々「伊勢物語」に詠まれる名所として知られているのを前提に、いくつもの竈(かまど)から立ち昇る煙が、まるで「伊勢物語」の須磨の浦の塩を焼く風景のようではないかとする。
本図は、地誌として必要な要素、今戸焼という生業と歌枕としての名所を意識したものである。絵師・広重もその点を心得ており、煙を全面に出しているが、そのため隅田川の風景が希薄になってしまっている。
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備考
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6編のみ1冊。 元題簽。「画本江戸みやけ六編/廣重筆/金幸堂梓(前見返し)」「江戸土産六編序(中略)松園主人梅彦(序)」
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書込み
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宛名面情報
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権利関係
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 この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。 詳しくは利用規定をご覧ください。
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形態に関する注記
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刊写:刊本 形態:冊 様式:刊本 色:カラー
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