ジャンル
|
和本
|
資料ID
|
2020_WA_008_02
|
地点番号
|
|
地域
|
台東区
|
資料名1
|
再校江戸砂子 巻之二
|
資料名1かな
|
さいこうえどすなご まきのに
|
資料名2
|
再校江戸砂子温故名蹟誌 巻之二
|
資料名2かな
|
さいこうえどすなごおんこめいせきし まきのに
|
シリーズ名
|
|
英文タイトル
|
|
縦・横・厚(cm)
|
22.7×16.0×6.6(8冊)
|
判型
|
|
時代
|
江戸
|
成立年月日
|
明和9年(1772)
|
成立年月日終
|
|
改印(検印)
|
|
作者名
|
菊岡沾凉/纂輯 丹治庶智(恒足軒)/再校
|
作者情報
|
|
署名等
|
|
発行者名
|
須原屋伊八 藤木久市
|
版元印
|
|
撮影地点・方角
|
|
彫師
|
|
蔵書印
|
「山﨑/蔵書(前見返し、朱文方印)」、「我善坊(朱文梅花印、1オ)」、「□田/物賢(朱文方印、1オ)」
|
件名
|
地誌 下谷 浅草 町名
|
スタンプ
|
|
画中文字
|
|
展示履歴
|
「江戸の旅日記を読む」(2019/06/21~09/16)、「台東区の古代・中世」(2022/06/17~09/11)。
|
解説
|
「江戸の旅日記を読む」:江戸時代中期を代表する地誌。六阿弥陀4番目田端与楽寺から5番目上野常楽院までは、25町(約2.7㎞)とある。谷中3丁目の道しるべの8町と12町を足しても20町(約2.2 ㎞)にしかならず、情報が異なっている。現在、与楽寺から常楽院があった上野4丁目8番付近までは約3.5kmの距離である。 「台東区の古代・中世」:浅草寺支院妙音院の姥が池の伝承を記録している。旅人の命を奪い、金品を略取していた老婆と娘がいた。ある日実は浅草観音の化身である旅人に娘が懸想したことで、老婆が誤って石の枕を落として頭を砕いてしまう。老婆は悲しみ池へ入水、この池を姥が池と呼ぶようになった。老婆の霊は大蛇となって人民を悩ませたが、祓い祀ることで流行病の守護神となったといい、老婆が竜神、沙竭羅龍王(しゃがらりゅうおう。沙伽羅龍王)の化身としている。 なお、享保17 年(1732)刊『江戸砂子』には、枕石が妙音院の什物であるとしているが、本書『再校江戸砂子』では、この記述は削除されている。(前期) 「石浜城 其所不レ詳。里民の云、今戸村のうしろなりと」とし、江戸時代中期、18 世紀には石浜城址が定かではなかった点が知られる。 なお、享保17 年(1732)刊『江戸砂子』では、「石浜」を立項し、『太平記』の記事を引くのみであるが、本書『再校江戸砂子』では、「橋場」を立項し、治承4 年(1180)10 月源頼朝による隅田川渡河や観応3年(1352)閏2月の石浜合戦の史実を大幅に加筆して掲載している。(中期) 「浅茅原 総泉寺の門前のはらをいふ」とし、18世紀には総泉寺門前を浅茅が原と認識していた点が知られる。続けて梅若伝説に登場する妙亀塚について「あさちか原にあり」と述べ、同じくゆかりある鏡が池、袈裟懸松についても記事がある。(後期)
|
備考
|
8冊の内の1冊。
|
書込み
|
|
宛名面情報
|
|
権利関係
|
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。 詳しくは利用規定をご覧ください。
|
形態に関する注記
|
刊写:刊本 形態:冊 様式:刊本 色:モノクロ
|