/ 375ページ
画像
IIIFビューア
ジャンル 浮世絵
資料ID 2011_u_032
地点番号
地域 谷中
資料名1 武蔵百景之内 谷中団子坂菊
資料名1かな むさしひゃっけいのうちやなかだんござかきく
資料名2
資料名2かな
シリーズ名 武蔵百景
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 37.3×24.8
判型 大判
時代 明治・大正
成立年月日 明治17年(1884)
成立年月日終
改印(検印)
作者名 小林清親/画
作者情報 画工 源助丁八番地 小林清親
署名等 眞生 小林清親
発行者名 小林鉄次郎
版元印
撮影地点・方角
彫師 彫友
蔵書印
件名 植木鉢 菊 朝日の出 植木屋 菊人形
スタンプ
画中文字 朝日の出
展示履歴 「『樋口一葉日記』」(2017/12/22~2018/03/14)、「台東区の縁日」(2018/09/21~12/16)、「饗庭篁村と馬琴日記」(2023/01/20~02/15)。
解説 「『樋口一葉日記』」:明治時代の菊の名所は、文京区の団子坂が隆盛を極めたが、江戸時代には谷中地域にも植木屋が菊を栽培していた。明治24年11 月8日、樋口一葉がすれ違った学生は、おそらく団子坂の植木屋で菊の鉢植を購入したと考えられる。
「台東区の縁日」:江戸時代後期の天保15年(1845)以降、鶴や象などの動物、富士山や二見が浦などの風景、宝舟や唐子などの縁起物、汐汲や暫などの物語を、小菊で形作った菊細工が流行した。残念ながら谷中の植木屋は、この地域イベントには参加せず、この反対側の団子坂を中心に、次第に観光地化していった。谷中の菊人形の史料は少ないが、本図の画面左奥に地蔵のような菊人形が飾られている。
「饗庭篁村と馬琴日記」:明治時代の観光地として賑わった、文京区の団子坂と谷中の菊花と菊人形が描かれている。菊花・菊人形が飾られたのは広い敷地を持つ植木屋の庭であったが、そこに至る坂道(団子坂)は明治時代は狭く急であった。
 篁村の「作り菊」の最後では、団子坂の中ほどで感動の親子の対面があり、東京の名所、団子坂を舞台にしている。
 篁村は、江戸生まれ東京育ちであることもあって、東京の名所に関心が高く、「東京人の東京見物」という随筆も記している。
備考 出版人 通三丁目十三番地 小林鉄次郎
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 形態:縦絵
色:カラー
/ 375ページ