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画像
IIIFビューア
ジャンル 浮世絵
資料ID 2012_u_046_003
地点番号
地域 上野公園
資料名1 東京名所之内 不忍ノ池競馬会社開業之光景
資料名1かな とうきょうめいしょのうちしのばずのいけけいばがいしゃかいぎょうのこうけい
資料名2
資料名2かな
シリーズ名 東京名所
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 37.3×25.1
判型 大判
時代 明治・大正
成立年月日 明治17年(1884)
成立年月日終
改印(検印)
作者名 歌川国利/画
作者情報 画工兼出版人 下谷元黒門町六番地 並川善六
署名等 「楳樹邦年画」「梅/壽(白文方印)」「國/利(朱文方印)」
発行者名 並川善六
版元印
撮影地点・方角
彫師 彫工岡
蔵書印
件名 上野東照宮 五重塔 寛永寺 上野公園 競馬 不忍池 弁天島 桜 天龍橋
スタンプ
画中文字
展示履歴 「上野公園~近代の歩み~」(2020/09/18~12/13)、「台東区の池と堀」(2024/09/20~12/15)
解説 「上野公園~近代の歩み~」:明治時代初期まで、不忍池は北から藍染川がそそぎ、今と比べると北西の端が突き出た形をしていた。明治12年に設立された共同競馬会社は、池の周囲を競馬場として使用するために、同17年に不忍池の北西の突き出た部分を埋め立て、今日のようなゆるやかな楕円形に整備し、同年11月1日に第1回不忍池競馬が開催された。
画の中央奥、池の北側に馬見所(メインスタンド)が建てられ、以後、同25年まで年2回、春と秋に不忍池競馬は行われた。競馬場は社交場として活用され、天皇、参議、大臣、各国大使らが訪れたほか、一般の観衆も押し寄せ、周辺は大賑わいになったという。不忍池競馬の浮世絵は多く残されているが、その大部分は宣伝用に事前に描かれたものである。
「台東区の池と堀」:明治時代から不忍池では競馬が行われるようになった。競馬コースに使うため池の外周は明治17年10月に整備され、メインスタンドとなる馬見所が設けられた外周約1500mのコースは左回りだった。競馬が開催されたのは今日のような娯楽のためではなく、鹿鳴館のように日本が欧化していくことを具体的に示す軍事的な目的もあった。
備考
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 形態:縦絵
様式:3枚続
色:カラー
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