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画像
IIIFビューア
ジャンル 浮世絵
資料ID 2015_u_010_002
地点番号
地域 上野公園
資料名1 東都名所 上野東叡山全図
資料名1かな とうとめいしょ うえのとうえいざんぜんず
資料名2
資料名2かな
シリーズ名 東都名所
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 37.9×25.8
判型 大判
時代 江戸
成立年月日 天保年間(1830~1844)
成立年月日終
改印(検印)
作者名 歌川広重(初代)/画
作者情報
署名等 「一立齋廣重画」
発行者名 蔦屋吉蔵
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印
件名 桜 寛永寺 根本中堂 子院 寛永寺五重塔 鐘楼 擂鉢山 常行堂 法華堂 多宝塔 転輪蔵 文殊楼 黒門 本坊 東叡山
スタンプ
画中文字
展示履歴 「郷土・資料調査室ってどんなところ?」(2016/09/16~12/14)、「幕末・明治の漢詩人 大沼枕山」(2018/12/21~2019/03/17)、「上野公園~近代の歩み~」(2020/09/18~12/13)。室報第12号に図版掲載。
解説 「郷土・資料調査室ってどんなところ?」:現在の上野公園内、東京国立博物館前の噴水池から西郷銅像下までが描かれている。このように江戸時代は、上野公園のすべてが寛永寺の境内であった。今はない「常行堂(じょうぎょうどう)」など大寺院の伽藍配置がわかる貴重な浮世絵である。
「幕末・明治の漢詩人 大沼枕山」:枕山は『江戸名勝詩』において、本図中央に描かれている瑠璃殿(るりでん、根本中堂)を、「如此奇観万国無(かくのごときの奇観、万国になし)」とたたえる。
「上野公園」: 天保年間の寛永寺全域を描いた浮世絵。寛永寺は京都の比叡山延暦寺を模した寺院で、寛永2年(1625)に天海によって建立された。山号の東叡山は「東の比叡山」という意味である。伽藍(がらん)は広大で、諸大名から寄進された子院も三十六坊を数えた。現在の上野公園一帯が寛永寺の寺域であり、竹の台の噴水広場には根本中堂が、東京国立博物館には小堀遠州作の庭園が造られていた。最盛期は約三十万五千坪に及び、更に大名並みの一万二千石の寺領を有していたという。また、奈良の吉野山からヤマザクラの苗木を取り寄せ、上野の山を桜の名所とした。
 絵からは現存しない根本中堂や法華堂、常行堂などの伽藍施設が見られ、その広大さから寛永寺が江戸時代に大いに繁栄していたことが分かる。
備考
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 形態:縦絵
様式:3枚続
色:カラー
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