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画像
IIIFビューア
ジャンル 絵画資料その他
資料ID 2012_u_017
地点番号
地域 谷中
資料名1 東亰名所 谷中天王寺景 YANAKA-TENOGI-KEI
資料名1かな とうけいめいしょ とうきょうめいしょ やなかてんのうじけい YANAKA-TENOGI-KEI
資料名2
資料名2かな
シリーズ名 東亰名所
英文タイトル YANAKA-TENOGI-KEI
縦・横・厚(cm) 18.5×24.6
判型
時代 明治・大正
成立年月日 明治23年(1890)9月22日
成立年月日終
改印(検印)
作者名 渡邉忠久/画
作者情報 画作兼印刷発行人 京橋区馬喰町三丁目四番地 渡邉忠久
署名等
発行者名 渡邉忠久
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印
件名 天王寺五重塔 感応寺
スタンプ
画中文字
展示履歴 「所蔵資料で見る谷中五重塔」(2016/03/18~06/12)、「塔」(2022/03/18~6/12)。
解説 「所蔵資料で見る谷中五重塔」:五重塔を奥に配し、天王寺境内というよりは谷中霊園に変わった名所を描いたものである。旧天王寺境内は、明治7年東京市で初めての共同墓地の一つとして設営され、墓石のみならず記念碑・顕彰碑が多く建立される地となった。画面中央の石碑は、順天堂創始者の佐藤尚中の顕彰碑で、現在も同地点に立っている。「塔」:谷中霊園は、天王寺の敷地等を東京府が引き継ぎ、明治7年に谷中墓地として開設した。その後、同22年に東京市に移管され、昭和10年(1935)に谷中霊園と改め今日に至る。本図は東京市に移管した翌年の様子。 谷中霊園には記念碑・顕彰碑が多く建立されており、中央にある石碑は佐藤尚中の顕彰碑。佐藤尚中は幕末から明治期の医者で、長崎で西洋医学を学び、明治6年に下谷練塀町(現 千代田区神田練塀町)に順天堂医院を開き、翌々年湯島に移転した。明治天皇の侍医長。
備考
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 形態:横絵
色:カラー
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