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IIIFビューア
ジャンル 地図
資料ID 2017_chi_006
地点番号
地域 台東区
資料名1 東都浅草絵図
資料名1かな とうとあさくさえず
資料名2 浅草御蔵前辺図
資料名2かな あさくさおくらまえあたりず
シリーズ名
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 49.4×53.4
判型
時代 江戸
成立年月日 文久元年(1861)改正
成立年月日終
改印(検印)
作者名 井山能知/図
尾張屋清七/編
作者情報
署名等
発行者名 尾張屋清七
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印 「台東図書館/昭和/56.3.-6/(インク壺形)(裏面)」
件名 蔵前 隅田川 神田川 浅草御門 浅草見附 東本願寺 浅草御蔵 首尾の松 柳橋 吾妻橋 三味線堀 鳥越橋 雷門 広小路 切絵図
スタンプ
画中文字
展示履歴 「所蔵資料から見るさまざまな門」(2016/12/16~2017/03/15)、「台東区の大名屋敷と大名庭園」(2020/12/18~2021/03/14、2021/06/18~09/12)、「馬琴日記」(2021/12/17~2022/03/13)、「台東区の橋」(2023/09/22~2023/10/18)、「地図でたどる台東区の変遷」(2024/3/22~6/16)
解説 「所蔵資料から見るさまざまな門」:江戸市中を区分し、折りたたんで懐に入るように作られたポケット地図。朱色が寺社地、白色が武家地、灰色が町人地、黄色は道路を示す。浅草橋から蔵前、東本願寺など台東区の東南部が範囲。左端の「浅草御門」とは、江戸城への入口の門である。ここには「見附」という見張り番所があり、現在浅草橋際に「浅草見附跡」の石碑が建っている。
「台東区の大名屋敷と大名庭園」:右半分に多く見られる朱色枠は寺社地、左半分に散在する家紋が入った土地は、大名の上屋敷である。町人地は灰色に塗られているが、白地のままの武家地が数の上で勝っている。現在の区中央部から南部にかけての地域で、大名の敷地は、ひとつひとつの面積が広くなっている。
 絵図下方の米蔵の南隣は、「本多中務少輔(岡崎藩中屋敷)」、「松平伊賀守(上田藩上屋敷)」の2家であるが、約70年前の『隅田川両岸一覧(前期展示)』には3家分の裏口が描かれている。「下谷辺より浅草迄之絵図(前期展示)」では、本多家は同じであるが、館林藩主の官位を示す「松平右近将監」、高崎藩主の官位を指す「松平美濃守」が記され、描かれた図と数の上で一致する。2家ともに上・中・下屋敷ではなく、おそらく抱屋敷(かかえやしき)かと思われる。
「馬琴日記」: 右上、「松前伊豆守」とあるのが蝦夷松前藩上屋敷で、現在の小島二丁目にあった。馬琴の息子・宗伯は、絵図からは外れているが、ここから約2㎞離れた神田同朋町(現、千代田区外神田二丁目)の自宅から通った。
 宗伯は松前藩の所用も引き受け、絵図左下側の「御蔵役人」の役宅(現、柳橋二丁目付近)に住んでいた絵師・大西椿年宅に赴き、絵の注文を行なっている。
「台東区の橋」:江戸末期の浅草・蔵前周辺の地図。神田川には浅草橋、柳橋が架かっているが左衛門橋はまだ架かっていない。また同様に、隅田川には吾妻橋のみが架かっており、代わりに渡しの御厩河岸の渡し場、竹町の渡しがある。
江戸時代の川を渡る主な交通手段は渡しであったことがわかる。
「地図でたどる台東区の変遷」:現在の浅草橋・蔵前近辺が記されており、幕府の米蔵であった浅草御蔵や、現在は暗渠となっている新堀川、東本願寺などが描かれている。大名屋敷や寺社の名称が記されている向きに統一性がないのは、玄関や門のある方向へ向けて文字が書かれているため。これは江戸切絵図に共通する記載方法である。小さく折りたたみ、懐へ入れて持ち運べるようになっていた。
備考 副題は題簽による。縦16.5cm×横9.0cm(折り畳んだ状態)。
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 刊写:刊本
形態:舗
色:カラー
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