解説
|
「幕末・明治の漢詩人 大沼枕山」:枕山の住居のうち3箇所の正確な場所がわかる。嘉永2年(1849)以来の住居と思われる「下谷徒士町三丁目40番地」、また転居した「下谷仲御徒町三丁目71番地」、さらに晩年の住居である。永井荷風の『下谷叢話』には、「明治二十三年庚寅の春、あたかも上野公園に第三回内国勧業博覧会の開始せられようとする頃、枕山は仲御徒町三枚橋の旧宅を売払って下谷花園町十五番地暗闇阪に転居した」とある。 「饗庭篁村と馬琴日記」:篁村が明治19年から28年まで居住していたのは、左側上方、上根岸町である。明治22年、北豊島郡金杉村の南西部が下谷区に編入されたため、篁村の住所「金杉村164番地」の表記は、本地図上にはない。明治19 ~ 21年(1886 ~ 88)の内務省地理局『東京実測全図』によると本地図の上根岸120、121番地に相当し、現在の根岸2‐19付近である。 明治22年9月13日の『東京朝日新聞』には、根岸元三島神社隣、上野桜木町5番地にあった鶯花園における園遊会の記事を篁村が執筆している。
|