/ 185ページ
画像
IIIFビューア
ジャンル 地図
資料ID 2019_chi_025
地点番号
地域 上野公園
資料名1 東京上野 公園地 実測図
資料名1かな とうきょううえの こうえんち じっそくず
資料名2
資料名2かな
シリーズ名
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 65.6×90.1
判型
時代 明治・大正
成立年月日 明治10年(1877)
成立年月日終
改印(検印)
作者名 博物局/製作
地理局量地課/実測/画
作者情報
署名等
発行者名
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印
件名 上野公園 龍門橋 雪見橋 月見橋 花見橋 中橋 三橋 池之端七軒町 下谷茅町一丁目 下谷茅町二丁目 池之端仲町 上野元黒門町 上野三橋町 不忍天龍町 上野花園町 谷中清水町 谷中坂町 下谷坂本町一丁目 下谷下車坂町 下谷上車坂町 下谷車坂町 徳川氏墳墓 博物館 東照宮 弁財天 竹之台 不忍池
スタンプ
画中文字 「地理局量地課 測者 後藤義正/絵者 中嶋正厚」「文会舎彫刻科」。
展示履歴 「上野公園~近代の歩み~」(2020/09/18~12/13)、「台東区の寺」(2022/09/16~12/11)。
解説 「上野公園~近代の歩み~」:明治10年の上野公園の地図。この頃の上野の山は、文部省や陸軍省など各省の争奪合戦の地だった。明治5年には現在の国立博物館の場所は陸軍用地、噴水から西郷像付近は文部省用地、霊廟と谷中方面は寛永寺と子院の用地だった。
 明治6年頃には現在の東照宮・摺鉢山・山王台・上野駅周辺・動物園東園が公園用地、上野の山の中心地はほとんど文部省用地となった。その後、文部省は現在の東京芸術大学音楽学部の土地を代替地として受け取り、中堂跡が東京府へと戻された。
 公園としての整備が進められ、明治9年、上野公園として開園した。まだ上野動物園(明治15年開園)はなく、不忍池は北側から藍染川が注ぎ、現在とはかなり異なった形をしていた。
「台東区の寺」:明治10年の上野公園の地図。翌11年3月に内務省博物局が太政官に提出した。明治6年、没収された寛永寺の境内地に日本最初の公園の一つ「上野公園」が誕生した。その後、寛永寺は同12年に復興が認められ、現在は上野公園の中に堂宇が点在している。また、同8年に不忍池が上野公園に編入され、同17年、共同競馬会社による競馬場の建設に伴い埋め立てが行われ、不忍池はほぼ現在の形に出来上がった。
備考 縮尺2500分の1。
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 刊写:刊本
形態:一枚物・状
色:カラー
/ 185ページ