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IIIFビューア
ジャンル 地図
資料ID 2019_chi_025
地点番号
地域 上野公園
資料名1 東京上野 公園地 実測図
資料名1かな とうきょううえの こうえんち じっそくず
資料名2
資料名2かな
シリーズ名
英文タイトル
縦・横・厚(cm) 65.6×90.1
判型
時代 明治・大正
成立年月日 明治10年(1877)
成立年月日終
改印(検印)
作者名 博物局/製作
地理局量地課/実測/画
作者情報
署名等
発行者名
版元印
撮影地点・方角
彫師
蔵書印
件名 芝区 麻布区 赤坂区 四谷区 麹町区 牛込区 小石川区 本郷区 京橋区 神田区 日本橋区 深川区 本所区 浅草区 下谷区 橋場町 玉姫町 今戸町 亀岡町 吉野町 浅草町 田中町 田町 象潟町 猿若町 馬道町 山ノ宿 光月町 新谷町 芝崎町 田島町 松葉町 神吉町 北清島町 松山町 永住町 七軒町 安部川町 壽町 栄久町 富坂町 三筋町 小島町 西鳥越町 猿屋町 向柳原町 新福井町 ニ長町 竹町 西黒門町 仲町 下谷町 茅町 西町 車坂町 上車坂町 山下町 桜木町 坂本町 豊住町 新坂本町 山伏町 入谷町 金杉町 竜泉寺町 三ノ輪町 金杉下町 上根岸 中根岸 下根岸 天王寺町 谷中初音町 三崎町 真島町 坂町 清水町 上野花園町 上野公園 不忍池 浅草公園
スタンプ
画中文字 発売所:東京市小石川区表町59番地 田村誠交堂卸部。「死者東京市だけで二十万を突破せん」(震災状況)。著作兼発行印刷者:田村敬二郎(東京市小石川区表町28番地)。図案者:小石川仲町十番地 下邑香堂。
展示履歴 「関東大震災と復興―台東区の大正・昭和―」(2023/06/16~09/18)。
解説 「上野公園~近代の歩み~」:明治10年の上野公園の地図。この頃の上野の山は、文部省や陸軍省など各省の争奪合戦の地だった。明治5年には現在の国立博物館の場所は陸軍用地、噴水から西郷像付近は文部省用地、霊廟と谷中方面は寛永寺と子院の用地だった。
 明治6年頃には現在の東照宮・摺鉢山・山王台・上野駅周辺・動物園東園が公園用地、上野の山の中心地はほとんど文部省用地となった。その後、文部省は現在の東京芸術大学音楽学部の土地を代替地として受け取り、中堂跡が東京府へと戻された。
 公園としての整備が進められ、明治9年、上野公園として開園した。まだ上野動物園(明治15年開園)はなく、不忍池は北側から藍染川が注ぎ、現在とはかなり異なった形をしていた。
「台東区の寺」:明治10年の上野公園の地図。翌11年3月に内務省博物局が太政官に提出した。明治6年、没収された寛永寺の境内地に日本最初の公園の一つ「上野公園」が誕生した。その後、寛永寺は同12年に復興が認められ、現在は上野公園の中に堂宇が点在している。また、同8年に不忍池が上野公園に編入され、同17年、共同競馬会社による競馬場の建設に伴い埋め立てが行われ、不忍池はほぼ現在の形に出来上がった。
備考 縮尺2500分の1。
書込み
宛名面情報
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
詳しくは利用規定をご覧ください。
形態に関する注記 刊写:刊本
形態:一枚物・状
色:カラー
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