解説
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「饗庭篁村と馬琴日記」:篁村が明治19年から28年まで居住していたのは、左側上方、上根岸町である。明治22年、北豊島郡金杉村の南西部が下谷区に編入されたため、篁村の住所「金杉村164番地」の表記は、本地図上にはない。明治19 ~ 21年(1886 ~ 88)の内務省地理局『東京実測全図』によると本地図の上根岸120、121番地に相当し、現在の根岸2‐19付近である。
「地図でたどる台東区の変遷」:明治11年に郡区町村編制法が制定され、下谷区が誕生した。当時の下谷区役所は現在の台東区役所がある場所に建っていたことが読み取れる。地図の中にある赤線は、明治36年から開通した路面電車の路線を表している。実線が敷設済で、点線が敷設予定のもの。
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