ジャンル
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文学
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資料ID
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2021_bu_008_01
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地点番号
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地域
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根岸
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資料名1
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朝日新聞社 佐藤・渋川玄耳宛饗庭篁村書簡(「殺生関白畜生塚」原稿の件)
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資料名1かな
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あさひしんぶんしゃさとうほっこうしぶかわげんじあてあえばこうそんしょかん せっしょうかんぱくちくしょうづかげんこうのけん
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資料名2
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資料名2かな
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シリーズ名
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英文タイトル
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縦・横・厚(cm)
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17.2×53.8
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判型
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時代
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明治・大正
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成立年月日
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明治40年(1907)10月21日以前
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成立年月日終
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改印(検印)
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作者名
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饗庭篁村(与三郎)/筆
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作者情報
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署名等
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発行者名
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版元印
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撮影地点・方角
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彫師
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蔵書印
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件名
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饗庭篁村 台東区ゆかりの文学者 佐藤北江 渋川玄耳 殺生関白畜生塚 朝日新聞社
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スタンプ
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画中文字
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展示履歴
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「饗庭篁村と馬琴日記」(2023/02/17~03/12)
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解説
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朝日新聞に勤めていた篁村が同新聞社編集者の佐藤北江・渋川玄耳へ宛てた書簡。内容は、八木太一郎「殺生関白畜生塚」の推薦文。同脚本は、明治41年(1908)6月1日~7月11日『朝日新聞』連載のため、成立年はこれ以前とした。 劇評家としての篁村の側面がわかる資料である。 「殺生関白畜生塚」は、明治41年、有楽社から単行本として刊行された。 渋川玄耳は、明治末年「藪野椋十」の筆名で「東京見物」という連載をした人物で、『東京朝日新聞』社会部長として活躍した。佐藤北江も石川啄木を見い出し庇護した名編集長であった。
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備考
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八木太一郎「殺生関白畜生塚」の推薦文。 同脚本は、明治41年(1908)6月1日~7月11日『朝日新聞』連載のため、成立年は、これ以前とした。
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書込み
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宛名面情報
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権利関係
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形態に関する注記
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刊写:写本 形態:一枚物・状 色:モノクロ
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