解題・説明
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寛文13年(1672)、久代村(現在の川西市)と山本村が猪名野芝地の利用をめぐり争論が起こった。両者では決着がつかなかったため、京都町奉行所に提訴した。本図はその裁判結果が図で示されたものである。絵図上で墨線が引かれた場所より東側は久代村、西側は山本四カ村の芝地とすることが決まった。こうした裁判結果を示した図を裁許絵図という。墨線の付近には印が押されている。絵図の裏書には争論が起こった経緯や裁判結果を文字で記されている。これは公的機関が両者の間に入って作成されたものであり、裁判の結果が今後他者によって変更されることがないよう、防止する役割を果たした。また、争論が起こった村双方は同一の内容の絵図を作成し、それぞれが厳重に保管することで、裁判の再発を防いだ。
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