解題・説明
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土砂留とは土砂の流出を防ぐための砂防工事、治水工事のことである。燃料や肥料、建築用の木材を調達するために、山で樹木や柴草の伐採が行われてきた。その結果、江戸時代の武庫川水系の山々ははげ山に近い状態であった。こうした山は大雨に見舞われると、水を含んだ土砂が流出してしまう。また崩壊した土砂が川床に堆積し、川が氾濫してしまう可能性が高い。こうした災害に備える必要があった。摂津国武庫郡・川辺郡に関しては、享保11年(1726)より尼崎藩の土砂留奉行が担当した。尼崎藩は武庫川筋の土砂留が必要な箇所を調査し、村落へ指定箇所の修復を命じた。本図が作成された慶応4年(1868)4月ころは幕藩体制が崩壊し、明治新政府へ移行する時期にあたる。この頃、尼崎土砂留奉行は山本村に土砂留の場所を確認するための絵図を作成させ、現地調査を行う予定であった。ところが、実行は見合わせとなったため、この絵図は尼崎土砂留奉行へ提出されずに、山本村で保管されることになった。本図には地元の人しか知らないような長尾山の山腹付近の地名が書き込まれている。また右上には満願寺が記載されている。
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