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目録ID mp210120-200010
文書名 土砂留場所絵図
文書名(カナ) どしゃどめばしょえず
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 慶應4年
作成年終
数量 1枚
形状 絵図
寸法
寸法(縦) 81.0㎝
寸法(横) 108.5㎝
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 裏書あり
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 防災
主題(カナ) ぼうさい
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 宝塚市山本
関連する地域・場所(カナ) たからづかしやまもと
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 土砂留とは土砂の流出を防ぐための砂防工事、治水工事のことである。燃料や肥料、建築用の木材を調達するために、山で樹木や柴草の伐採が行われてきた。その結果、江戸時代の武庫川水系の山々ははげ山に近い状態であった。こうした山は大雨に見舞われると、水を含んだ土砂が流出してしまう。また崩壊した土砂が川床に堆積し、川が氾濫してしまう可能性が高い。こうした災害に備える必要があった。摂津国武庫郡・川辺郡に関しては、享保11年(1726)より尼崎藩の土砂留奉行が担当した。尼崎藩は武庫川筋の土砂留が必要な箇所を調査し、村落へ指定箇所の修復を命じた。本図が作成された慶応4年(1868)4月ころは幕藩体制が崩壊し、明治新政府へ移行する時期にあたる。この頃、尼崎土砂留奉行は山本村に土砂留の場所を確認するための絵図を作成させ、現地調査を行う予定であった。ところが、実行は見合わせとなったため、この絵図は尼崎土砂留奉行へ提出されずに、山本村で保管されることになった。本図には地元の人しか知らないような長尾山の山腹付近の地名が書き込まれている。また右上には満願寺が記載されている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 山本共有財産管理組合
原資料の所在地 宝塚市立中央図書館
資料番号 7-53-14
管理記号 18
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 歴史的公文書
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載
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権利関係・利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
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デジタル化の経緯に関する注記
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