解題・説明
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山本村・丸橋村・口谷村・大野新田村が尼崎藩土砂留奉行へ提出した村絵図の控えである。丸橋・口谷・大野新田はもともと山本村の一部であったが、江戸中期ごろに山本村からそれぞれ独立した。この絵図は土砂留作業を担当する村落の位置関係を示したものと考えられる。絵図の上のほうには長尾山が配置されている。長尾山のふもとの東西に引かれた朱線は巡礼道(巡礼街道)である。西国23番札所の勝尾寺から24番札所の中山寺を経て25番札所播州清水寺に至る道筋は巡礼街道と呼ばれ、西国三十三所観音霊場巡りに利用された(『宝塚市大事典』)。墨色で彩色された箇所は集落の立地を表しており、この墨色の部分には家屋が描かれている。また、集落の周辺には田畑が広がっており、最明寺川や溜池からの水を取り入れていたことがわかる。南東部に緑青色で表現された草野とは、昆陽野芝地を示している。芝地で刈り取られた草は田畑の肥料や燃料として利用されていた。
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