古丹波の壺

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 さて七つの壺のうち、大きさで最大は高さ五八・八センチメートル、胴径四九・五センチメートル、最小は高さ四〇・〇センチメートル、胴径三〇・八センチメートルである。口絵にも掲げたように、茶褐色、ないし赤褐色に焼きあがっているが、釉(うわぐすり)は特に使用してなく、釉のようにみえるものも、窯のなかで焼成中に降灰などが釉化する、いわゆる自然釉である。土質は共通して鉄分を含んだ砂交り山土が用いられており、紐土を巻きあげてつくる紐つくり法の手法により、かつ三段継ぎとなっている。胴の上半部の外面はロクロにより成型されていて滑らかであるが、下半部はロクロを使ってなく、でこぼこがある。
 調査報告書の中で、満岡忠成はおおよそこのように七つの壺に共通する特色を指摘し、結論として古丹波の窯によるもの、製作の時代は室町時代であると鑑定している。
 また四個の壺には鉢または摺鉢(すりばち)を利用して蓋(ふた)がなされていたが、丹波では摺鉢の生産はふつうは桃山時代とされている。しかしこの摺鉢も紐づくりの製法によっており、丹波地方で室町時代にすでに摺鉢の生産があったと考えてよい。この摺鉢をあわせ考えると、「壺の年代も室町中期以後とみるのが妥当であろう」と満岡忠成は鑑定している。
 なお六個の壺には、面の部分にマークが陰刻されている。これはいわゆる窯印といわれるものに近いが、古丹波では他に例が少なく、むしろ古丹波の窯印を考えるさいの貴重な資料になるとされている。
 

写真75 古銭入りの壺
堂坂から最初に発見されたもの