解題・説明
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篠山藩の領地であった川面村と安場村付近を示した図である。絵図の右端には小浜村が四角で囲まれて描かれ、そこから生瀬方面に向けての有馬街道、伊孑志方面などに複数の街道が記されている。小浜村が交通の要衝であったことがわかる。小浜村と生瀬村との間に位置する川面村と安場村、米谷村には家屋を描くことで、そこに集落が存在していたことを示している。有馬街道沿いの集落には橙色と白色で家屋の屋根の色が塗り分けられ、篠山藩領とそれ以外の所領との区別がされている。河川に目を移すと、十河川と武庫川の川岸には堤防が設置されている。大雨に見舞われると、武庫川には支流から多くの雨水や土砂が流れ込み、水位が上昇し、水害をもたらす危険性があった。そこで武庫川の氾濫に備え、沿岸地域の被害を抑制しようとしたと考えられる。このほか現在の栄町や武庫川町付近の武庫川沿いには石刎や水門といった治水に関する表現がみられる。いちご川と荒神川には表面を土で覆った土橋、大堀川には板橋がかけられていた。生瀬村に向けてかかっている土橋は生瀬大橋の前身と思われる。地頭林とは大名から家臣に与えられた林のことである。
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