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目録ID mp000010-100010
書名 天神山城図
書名(カナ) テンジンヤマジョウズ
書名(ローマ字)
別書名
別書名(カナ)
別書名(ローマ字)
書名(欧文)
書名に関する注記
編著者
編著者(カナ)
編著者(ローマ字)
出版・書写者
出版・書写者(カナ)
出版・書写者(ローマ字)
出版・書写年 戦国時代
出版・書写年終
数量 1点
特殊な装丁
寸法
寸法(縦) 26.6㎝
寸法(横) 34.4㎝
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 第1図は『飛州志』の挿図で、江名子川、宮川がしっかり描かれ、本丸、三之丸への点線の道路が描かれる。現在の城山公園は、金森氏が築いた高山城の縄張りを主体とする。金森氏以前の時代は、天神山城といい、日枝神社の裏山が三之丸、金竜ヶ丘が二之丸、金森時代の本丸が本丸であった。文安年中(1444~1449)、飛騨の守護代であった「多賀出雲守徳言」によって築城され、近江の多賀天神を祀ったことから「多賀天神山」、城は「多賀山城」と呼ばれたという。永正年間(1505~1520)には高山外記(げき)が在城し、その時は「天神山城」と呼ばれていた。多賀氏は守護京極家の守護代で、高山氏はその後の守護の被官である。中世における守護は、岩松経家(元弘3年・1333)、佐々木道誉(延文4年・1359)が補任(ぶにん)されている。第1図で東に江名子川、西に宮川が描かれている。江名子川は当時、現在の北山公園山麓の縁を北流していたのだが、川の流路位置は金森氏による江名子川改修後の姿に近くなっている。高山国府は二重丸で描かれ、宮川上流には古橋跡が記される。この橋は、絵図の配置からすると和合橋あたりと思われる。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 高山市教育委員会
原資料の所在地 高山市教育委員会
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 古典籍
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類) 高山城下町絵図
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「高山市史編纂資料第1号 『高山城下町絵図』 高山市教育委員会 平成24年発行」 3頁 第1図
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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