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目録ID mp000130-100010
タイトル 高山城下侍屋敷跡割地絵図
タイトル(カナ) タカヤマジョウカサムライヤシキアトワリチエズ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 元禄8年8月
製作年終 元禄10年
数量 1点
形状
大きさ
大きさ(縦) 248㎝
大きさ(横) 265.2㎝
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 第13図は安川通以南の武家屋敷跡の割地絵図で、各区画毎に通番が記され、間口・奥行の間数が記される。区画数は全部で577あり、残りの138は安川通以北の分である。この時破却された屋敷は239軒(109軒侍家、130軒扶持人家)で、大きな屋敷跡地は幾つかに分割されるなど、割地の区画とは異なっている。元禄5年(1692)の金森氏転封後、飛騨は幕府直轄地となり、幕府から代官が派遣され、高山城は代官とは別に加賀藩が管理した。しかし同8年、城は廃城と決まり、6月にその破却が終了し、この時城下の侍屋敷も同時に壊されている。8月、伊奈代官は城地・侍屋敷の跡地の処分について勘定所に対して「跡地は約十九町歩あり、城下の本町と端々の町人へ割地すると一軒あたり壱畝歩程と少なく、本町内の七百十五軒へ渡すと弐畝歩余となる。割地した土地は田畑に開墾して後に検地したらどうか」といった伺いをたてている。これに対し「本町内の者だけに割地し、当面は検地帳の高の外へ記し、開墾後検地を行ない年貢高に加えるべし」と回答があった。また11月には城や侍屋敷の毀道具や樹木を町人へ払い下げており、跡地はまったくの更地となった。元禄10年6月、町人から割地証文が出されたが、これには「各区画の土地の善悪・広さの過不足があるが、三町の組頭が交替で割場にて立合、各々相談・くじ取によって決める。また両者立合で境杭を打ち、後に境論がない様にする。割地内には家を建てない。年貢は仰付があり次第上納する。」といった内容で、平均的な1区画は5間に20間程の約100坪位であった。割地後は年々相応の見取年貢を納めていたが、享保9年(1724)代官長谷川忠国の時に検地が行なわれ、正式な年貢地となった。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 高山市教育委員会
原資料の所在地 高山市教育委員会
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵図
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類) 高山城下町絵図
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「高山市史編纂資料第1号 『高山城下町絵図』 高山市教育委員会 平成24年発行」 24・25頁 第13図
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権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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