解題・説明
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この図は前々からの夜番所(朱丸印)29カ所に加え、新規の行燈番(朱三角印)8カ所の位置を図示したもので、黄色に塗られた道に朱線で廻り順路が引かれている。高山の夜番所は弘化元年(1844)7月21日に設置された記録があり、高山御役所から在々よりの人口、町内所々に番所を建、町役人らが終夜帳番をし、町人は6ツ時以降はできるだけ出歩かず、もし外出する場合は必ず提灯をもつようにと申渡があった。この時設置された夜番所は44カ所で、各々「臨時夜廻番鑑札」と墨書された木札を所持し、1ヵ所に4人配置され、2人ずつ交替で見廻りに出て町を警備した。 図の附書に「新規行燈出し其所へ相詰罷在大廻り相勤申処、場所の内黄道筋町通りの内共に朱の細筋引の分担廻り申候道の内にて御座候。尤銘々いろは付合印仕置候手請取之場所にて御座候。いの字の内、壱ノ町組大廻り。ろの内、弐ノ町組大廻り。はの内、三ノ町・片原町組大廻り。にの内、上向町・中向町・下向町大廻り、但四組。ほの内、上川原町・八軒町・中川原町・川原町・東川原町大廻り但四組。への内、壱ノ新町・弐ノ新町・八まん町・下新町大廻り、但四組。との内、日影町・嶋川原町・天照寺町・宗猷寺町・若達町・欠ノ上町・鉄砲町大廻り、但四組。ちの内、寺内町大廻り、但三組。右之通高燈出し置相勤申候。尤一夜宛相勤順相廻し家並相廻し申候、尤端々にては一夜宛相勤、次之組へ廻し候所も御座候に付町順も違場所は本町端々共に相定り不申候、尤戉外辻番夜番又は加番等相廻り候処も御座候」とある。 道路の形を見ると、東から一ノ町通り、二ノ町通り、三ノ町通りと記されるが、南端まで平行に線引きされ、実際は扇の要の様に収束するのだが、実際の道路網とは違っている。 えび坂は文化15年改修前の形であり、そうすると弘化元年の夜番所設置時より古い絵図となるかもしれない。橋は中橋、鍛冶橋が描かれ、弥生橋はまだない。
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