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目録ID mp000260-100010
タイトル. 版. 巻次 『高山消防』巻末添付図 高山町火災図、火消組目印
タイトル. 版. 巻次(カナ) タカヤマショウボウカンマツテンプズ タカヤマチョウカサイズ ヒケシグミメジルシ
タイトル. 版. 巻次(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
編著者
編著者(カナ)
編著者(ローマ字)
出版者
出版者(カナ)
出版者(ローマ字)
出版年 大正15年5月8日発行
出版年終
数量 4点
形状
大きさ
大きさ(縦) (26~28) 21.0㎝
大きさ(横) (26~28) 12.5㎝
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
件名
件名(カナ)
件名(ローマ字)
地名件名
地名件名(カナ)
地名件名(ローマ字)
人名件名
人名件名(カナ)
人名件名(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
解題・説明 第26図は天明4年(1784)3月20日の火災範囲と、寛政8年(1796)7月6日の火災範囲が赤で記される。天明4年の火災は、『高山消防』65頁の高山町火災年表の記載によると夜9ツ時(午前0時)、一之町2丁目から出火し、2,342軒が全焼し、寺院11カ寺が燃えたとある。寛政8年の火災は、夜寅の刻(午前3~5時)に三之町2丁目から出火し、442軒が全焼したとある。東西の安川通り以南の大火であった。天明4年の大火は、北は大新町から南は町会所(神明町・高山町役場)までと、空町の照蓮寺(高山別院)周辺などが焼ける大火であった。第27図は天明7年(1787)、天保3年(1832)、嘉永3年(1850)、明治、大正時代の類焼図である。天保3年11月の大火は498軒が全焼した。同年3月にも東川原町で、119軒が全焼した。第28図は享保7年(1722)、天保元年(1830)、明治、大正時代の類焼図である。この中で、特に大きな火災は明治8年4月24日の大火災で、午前11時30分、二之町家屋の薪小屋より出火、1,032軒を全焼した。現在に近い時期で類焼軒数の多かった大火はこれが最後となる。大正9年よりガソリンエンジンの消防ポンプを導入、以後消防の機動力は増し、大火が減少してゆくことになる。明治8年の大火は広範囲であったが土蔵は類焼せず、土蔵屋根の復旧、町家の再建も進んで以前の整然とした町並みが整備されていった。第29図は、明治12年の火消組まとい目印と人員等である。各組のまといと旗の目印を参考にして、10組の目印を整理したものである。前頁第22図に高山町夜番所位置図を掲載しているが、高山城下町の火災予防に火消組は大きく貢献してきた。天明3年(1783)正月、大原郡代は、大工、木挽職の152人に火消の役を勤めさせ、木製の御用印鑑を持たせた。文化11年(1814)には夜廻りが始まり、文政13年(1830)から5つの火消組ができ、「講」もできて10組となった。嘉永4年(1851)には陣屋前で火消組が駆け出しを行い、これが出初式の始まりといわれる。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 高山市教育委員会
原資料の所在地 高山市教育委員会
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 図書
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類) 高山城下町絵図
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「高山市史編纂資料第1号 『高山城下町絵図』 高山市教育委員会 平成24年発行」 49頁 第26図・第27図・第28図・第29図
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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