第1図は『飛州志』の挿図で、江名子川、宮川がしっかり描かれ、本丸、三之丸への点線の道路が描かれる。
現在の城山公園は、金森氏が築いた高山城の縄張りを主体とする。金森氏以前の時代は、天神山城といい、日枝神社の裏山が三之丸、金竜ヶ丘が二之丸、金森時代の本丸が本丸であった。文安年中(1444~1449)、飛騨の守護代であった「多賀出雲守徳言」によって築城され、近江の多賀天神を祀ったことから「多賀天神山」、城は「多賀山城」と呼ばれたという。永正年間(1505~1520)には高山外記(げき)が在城し、その時は「天神山城」と呼ばれていた。
多賀氏は守護京極家の守護代で、高山氏はその後の守護の被官である。
中世における守護は、岩松経家(元弘3年・1333)、佐々木道誉(延文4年・1359)が補任(ぶにん)されている。
第1図で東に江名子川、西に宮川が描かれている。江名子川は当時、現在の北山公園山麓の縁を北流していたのだが、川の流路位置は金森氏による江名子川改修後の姿に近くなっている。高山国府は二重丸で描かれ、宮川上流には古橋跡が記される。この橋は、絵図の配置からすると和合橋あたりと思われる。