高山城石垣修築届出絵図(第35図)

高山城石垣修築届出絵図[目録]


 この絵図は、延宝3年8月12日の大雨で石垣の被害があり、翌年3月14日に幕府へ提出した石垣修築届け図面である。金森6代頼旹の後見役である金森左京近供が提出した。
 5カ所の石垣が破損している。
 1カ所目は8月12日の被害で、二之丸西方の土蔵である。付箋には「二ノ丸西ノ方北面土蔵之石垣表西弐間高弐間去年卯八月十二日夜大雨仕崩申候」とある。
 2カ所目は9月10日の被害で、南之出丸南東の石垣である。付箋には「本丸之内南之方出丸石垣南北四間高壱丈去年卯九月十日大雨ニ而崩申候」とある。
 3カ所目は本丸東拾間櫓下の石垣である。付箋には「本丸東之矢倉下石垣南北七間高三間半孕申候」とある。
 4カ所目は二之丸大門の北側に続く石垣である。付箋には「二丸西之方塀下石垣南北拾三間高四間弐尺孕申候」とある。
 5カ所目は二之丸屋形北側の腰曲輪にある荷造り蔵北隅の石垣がはらんだ。付箋には「二丸北土蔵下角石垣西表北表三間ヅツ高四間ヅツ孕申候」とある。
 また、図左上には書き入れがあり、「一、本丸之内南之方出丸石垣南北四間高壱丈去年卯九月十日大雨ニ而崩申候 一、本丸東之矢倉下石垣南北七間高三間半孕申候 一、二丸西之方北表土蔵之石垣東西弐間高弐間去年卯八月十二日之夜大雨仕崩申候 一、二丸西之方塀下石垣南北拾弐間高四間弐尺孕申候 一、二丸北ノ土蔵下角石垣之表三間高四間孕申候 右五箇所石垣破損仕候間如元築直シ申渡奉存候万助幼少ニ候故如斯御座候已上 延宝四年丙辰三月十四日 金森左京(印判)」とある。
 この絵図からわかることは、①南の大手が異状に大きく描かれ、道幅が広い、②大手方面の災害があったので、寛文3年の高山城絵図に比べ、描いた範囲が広いことである。本丸、二之丸、三之丸の建物姿はほぼ同じである。