解題・説明
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この図は現在の上川原町、川原町、高山陣屋南側の八軒町通りの絵図である。本図は元禄8年(黄)、享保10年(薄桃)、享保11年の畑(薄茶)、同年の屋敷(白)、安永3年(緑)に検地した土地を色分けしたもので、各区画の広さと地主名が記される。川原町の中央に細長くある(灰色)旧金森家の「馬場跡」はすべて畑となり、多くは他組の人の所有である。この西側の家並には地役人の家が多く、大池・大坪・川上・熊崎・石黒・今井・吉住・長瀬・青山・田近・指田・山崎・岩水、八軒町通り北側には足立・直井・田中・山内・岩城・岩水・不破といった名が見える。また八軒町通りの南側には町方分の家並が入り込んでいる。地役人とはその土地に土着し、代官・郡代に属して執務した役人で、高山では金森家転封後高山に留った金森藩士84人が召し抱えられた。当時の役割は元締(後に頭取)7人・山廻役11人・白木改役5人・御榑木御材木改役12人・口留役43人・町在廻役6人と、主に山林と番所関係が多い。以後その人数は幾多の変遷をみているが、大原騒動後には一時34人まで減じている。高山町夜番所並 行燈番位置図(第22図)
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