解題・説明
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早瀬の渡しは、戸田の渡しよりも古く、平安時代末には存在したと考えられる。また、この渡しから北へ延びる道筋は、旧鎌倉街道「中道(なかつみち)」の脇(わき)街道か枝道(えだみち)の役割を果たしていたのではないかといわれている。この道筋は、かつての佐々目郷(ささめごう)を南北に貫通しており、美女木八幡社(びじょぎはちまんしゃ)が創立を鎌倉時代といわれる古社であることからも、その当時より、早瀬の渡しが重要な渡しであったことが推測される。この渡しは、新河岸川(しんがしがわ)が完成した昭和5・6年(1930・1931)頃には、その機能を完全に果たし終えている。
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