解題・説明
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当初、荒川左岸の排水路新設工事として計画され、その後、運河計画、貯水池計画へと設計が変更された。そこへ、昭和15年(1940)の第12回オリンピック東京大会の漕艇場(そうていじょう)を戸田へ誘致しようという動きが加わり、ボートコースが造られることになった。オリンピック自体は、戦争の影響で返上・中止となったが、治水工事の一環であったため工事は継続され、昭和15年に完成した。その後、昭和39年(1964)の第18回オリンピック東京大会では、漕艇競技会場となった。全長2,400m、幅90mで、全国でも数少ない静水(せいすい)コースである。 写真はボートコースとオリンピック聖火台(第18回オリンピック東京大会当時)
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