文書名
|
湯治中入用之控
|
文書名(カナ)
|
とうじちゅうにゅうようのひかえ
|
文書名(ローマ字)
|
|
別名
|
|
別名(カナ)
|
|
別名(ローマ字)
|
|
文書名(欧文)
|
|
文書名に関する注記
|
|
差出・作成者
|
仲村新右衛門
|
差出・作成者(カナ)
|
|
差出・作成者(ローマ字)
|
|
宛所
|
|
宛所(カナ)
|
|
宛所(ローマ字)
|
|
書写者
|
|
書写者(カナ)
|
|
書写者(ローマ字)
|
|
作成年
|
享和元年
|
作成年終
|
|
数量
|
1点
|
形状
|
|
寸法
|
|
寸法(縦)
|
125mm
|
寸法(横)
|
350mm
|
材質
|
|
形態に関する注記
|
横帳
|
保存状況
|
|
縮尺
|
|
その他の注記
|
|
言語
|
日本語
|
ISBN
|
|
ISSN
|
|
主題
|
|
主題(カナ)
|
|
主題(ローマ字)
|
|
関連する地域・場所
|
|
関連する地域・場所(カナ)
|
|
関連する地域・場所(ローマ字)
|
|
関連する人物・団体
|
|
関連する人物・団体(カナ)
|
|
関連する人物・団体(ローマ字)
|
|
内容年
|
|
内容年終
|
|
内容
|
|
内容(カナ)
|
|
内容(ローマ字)
|
|
解題・説明
|
享和元年(1801)8月から9月にかけて、当主新右衛門が家族で有馬温泉に湯治に行った際の記録で、富田林~有馬温泉の往復に要した費用が使途ごとに記されている。茶代をはじめ駕籠代や「こあけ(小揚)」という荷物を運搬する人夫の代金といった道中の費用のほか、有馬温泉では宿の主人や内儀、隠居をはじめ湯女や男衆、女中たちへの進物料や振舞料が記されている。また道中の小遣や土産物代等も記されている。 仲村家の診療にもあたっていた医家柘植龍洲が「温泉論」を出版するにあたり、新右衛門は龍洲に出版料として金15両を提供している。「温泉論」は病気や懐胎における温泉の効用について述べたもので、近世の温泉論のなかでも最もすぐれたものとされている。「温泉論」の中でも龍洲が最も高く評価しているのが有馬温泉で、このときの湯治に際しては、もしかすると龍洲の勧めがあったのかもしれない。 享和元年8月11日に富田林を出発した一行は、平野で中飯をとった後、馬で大坂まで行き一泊、翌日は神崎で中飯をとり、塚口、昆陽を経て小濵(有馬街道小濵宿/宿場町)で一泊。翌13日、小濵を出発した一行は生瀬から舟坂を経て、足掛け3日をかけてようやく有馬に到着する。神崎~有馬温泉間は有馬街道(別名、湯山/湯乃山街道)を通っている。 当時は一廻り(7日間)を単位とし、三廻り(21日間)が湯治の日数とされていた。新右衛門たちは8月27日に「三廻り目」をむかえ、9月3日に有馬を発っており、ちょうど21日間の湯治であった。 ※掲載画像は史料の一部抜粋である。
|
解題・説明(英語)
|
|
来歴
|
令和2年3月30日に『仲村家文書 附 書籍 板木 印鑑 氏子札 酒造関係等証札類 』として富田林市指定 有形文化財(書跡・典籍・古文書)に指定。
|
来歴(英語)
|
|
所蔵機関
|
個人所蔵
|
原資料の所在地
|
|
資料番号
|
|
管理記号
|
|
カテゴリ区分
|
文書・記録
|
資料種別
|
古文書
|
資料分類(大分類)
|
富田林市指定文化財 -有形文化財
|
資料分類(中分類)
|
書跡・典籍・古文書 -仲村家文書 附 書籍 板木 印鑑 氏子札 酒造関係等証札類
|
資料分類(小分類)
|
|
文化財情報
|
富田林市指定文化財『仲村家文書 附 書籍 板木 印鑑 氏子札 酒造関係等証札類』
|
manifest.jsonへのURL
|
|
参照データ
|
|
関連ページURL
|
2022 『仲村家文書』富田林市文化財リーフレット3(全国遺跡報告総覧のページに移動します)
|
関連画像URL
|
|
自治体史掲載
|
|
出版物・関連資料
|
|
翻訳元の言語
|
|
権利関係・利用条件
|
未定
|
原資料の利用条件
|
未定
|
権利関係・利用条件に関する注記
|
|
緯度・経度・高度に関する注記
|
|
DOI
|
10.24484/sitereports.115473
|
既刊目録名
|
|
デジタル化の経緯に関する注記
|
|