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慶長5年9月15日
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1600/9/15
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関ヶ原の戦起こる。
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慶長5年
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1600
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西巣鴨法福寺(もと浅草北島町)、仙龍和尚によって開基されるという 【区史、1941】
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3
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慶長7年
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1602
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清立院、法明寺末となる 【資3-647】
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慶長8年2月12日
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1603/2/12
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家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
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慶長9年
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1604
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本納寺所在の宝篋印塔造立される 【豊島あちらこちら】
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6
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慶長11年
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1606
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高田村伝馬役采地、大伝馬町馬込勘解由分6石1斗8升、南伝馬町高野新右衛門・小宮善右衛門分6石1斗8升に分割される 【駅遞志料】
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7
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慶長12年
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1607
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これ以前旗本太田氏鼠山屋敷成立 【通1-431】
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8
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慶長14年2月
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1609/2
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島津家久、琉球出兵。5月琉球王を捕える。
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9
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慶長16年2月
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1611/2
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西巣鴨白泉寺(もと遠州)、雪外宗秀和尚の開基になるという 【区史、1941】
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慶長16年6月18日
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1611/6/18
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本染寺開山受勝院日安、寂 【櫨楓,資3-439】
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11
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慶長16年
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1611
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日出町本染寺(現本教寺)、日安の開基になる 【高田村誌】
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12
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慶長17年3月21日
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1612/3/21
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幕府、キリシタンを禁じる。
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13
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慶長17年5月30日
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1612/5/30
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増上寺に巣鴨村130石ほかの家康判物公布される 【御当家令条】
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14
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慶長年間
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1615
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駒込村五平治先祖、高木将監村を開く 【資3-443】
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15
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慶長年間
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1615
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仁平三河守の子某、保坂氏と改名。またその子徳右衛門某、村内の新田を開発し、地頭より除地1町8反1畝歩をもらい、代々巣鴨村名主役となる 【資3-441】
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16
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慶長年間
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1615
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磐城平藩安藤家下屋敷、雑司が谷に成立(将軍家光代とする説もあり) 【通1-422~27】
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17
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慶長年間
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1615
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これ以前、駒込山王社建立される 【資3-443】
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元和1年4月
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1615/4
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西巣鴨慈眼寺(もと深川)、開基日遼上人により創設されるという 【区史、1941】
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元和1年5月8日
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1615/5/8
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豊臣氏滅ぶ。
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20
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元和1年7月
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1615/7
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幕府、武家諸法度・禁中並公家諸法度を制定。
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元和1年
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1615
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祐遍法印真性寺中興開基となる 【資3-484】
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22
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元和2年8月8日
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1616/8/8
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高田南蔵院の開基円成比丘、寂 【区史、1941】
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元和5年9月9日
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1619/9/9
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法明寺10世日雄聖人没 【櫨楓】
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元和5年
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1619
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西巣鴨盛雲寺(もと下谷北稲荷町)龍誉喜山大和尚によって開基される 【区史、1941】
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元和6年3月
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1620/3
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幕府、浅草に米蔵を建設。
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元和9年10月13日
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1623/10/13
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幕府、キリシタン50名を江戸芝で処刑。
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27
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元和年間
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1624
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法明寺10世日雄が鬼子母神樹木の伐採をしたので,雑司が谷村民、これを本多佐渡守正信に訴えて中止させる 【通1-383】
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28
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元和年間
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1624
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駒込土物店始まる 【通1-649】
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元和年間
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1624
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清立院に日親聖人堂建立される 【資3-204、654】
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30
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寛永1年9月
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1624/9
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願主岡本氏、雑司が谷鬼子母神稲荷宮へ絵馬奉納 【資3-560】
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31
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寛永1年
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1624
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将軍家光の乳母春日局、湯島麟祥院を創設 【資2-906】
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32
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寛永1年
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1624
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西巣鴨妙行寺、本妙寺日慶上人により赤坂に建立されるという 【区史、1941】
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33
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寛永2年10月23日
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1625/10/23
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木村久蔵宗綱、長崎村40石7斗余、堀之内村33石、長崎・堀之内開発地82石3斗余、など計192石3斗余を拝領 【資3-51~52】
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34
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寛永2年10月23日
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1625/10/23
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服部助左衛門康信、池袋村の内20石5斗余、など計218石7斗余を拝領 【資3-44、50】
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35
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寛永2年10月23日
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1625/10/23
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手鷹師阿部政勝、豊島郡のうちに150石余の采地をたまう 【資3-22】
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36
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寛永2年10月23日
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1625/10/23
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手鷹師頭阿部重次、武蔵国豊島・下総国印旛両郡に、新墾田を合わせ570石余を拝領 【資3-25】
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寛永2年10月23日
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1625/10/23
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高木弥十郎政勝(または子の政春か)池袋村の内22石、など計55石を拝領 【資3-46、51】
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寛永2年11月11日
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1625/11/11
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斎藤惣左衛門重成、池袋村の内14石9斗余、など計209石2斗余を拝領 【資3-26、52】
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寛永2年12月11日
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1625/12/11
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小泉孫助信秀、池袋村の内15石4斗余、堀之内、池袋村開発地、など計210石4斗拝領 【資3-52】
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40
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寛永2年12月11日
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1625/12/11
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斎藤長左衛門吉勝、池袋村59石7斗余、など計129石6斗を拝領 【資3-28、52】
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寛永2年12月11日
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1625/12/11
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吉田清三郎政勝、池袋村15石8斗余、同村開発地1石7斗、など計166石7斗を拝領 【資3-21、50~51】
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寛永2年
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1625
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太田采女正元資・同舎弟遠山平六資正、鬼子母神社殿造営 【櫨楓】
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43
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寛永3年閏4月
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1626/4
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幕府、人身売買を禁じる。
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寛永3年
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1626
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西巣鴨良感寺、良感求欣和尚により小石川同心町に建立されるという 【区史、1941】
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寛永4年11月3日
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1627/11/3
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手鷹師大草次郎右衛門正重、高田村60石2斗余、長崎村43石余、池袋村5石4斗余、高田・長崎村開発地24石1斗余、など計189石6斗余を拝領 【資3-41、51】
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寛永5年10月28日
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1628/10/28
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江戸近郊に鷹場法度を制定。雑司が谷ほか9か村(区外)は代官倉橋庄兵衛触れる 【資3-130】
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寛永5年
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1628
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伝通院領雑司が谷村本納寺造立 【資1-415】
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寛永6年3月
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1629/3
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江戸に辻番を設置。
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寛永6年
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1629
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この年、神田上水成る 【資3-185】
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50
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寛永7年4月2日
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1630/4/2
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不受不施派日奥・日樹ら流罪。
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