江戸後期 としま

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No 年月日 西暦 としま(江戸後期) できごと
1 寛政1年1月19日 1789/1/19 新吉原三浦屋遊女高尾(11代目)本立寺に葬られる 【櫨楓】
2 寛政1年4月14日 1789/4/14 麟祥院領駒込村百姓銀八持畑に町人体の男首つり 【通1-700】
3 寛政1年11月17日 1789/11/17 麟祥院領駒込村百姓新七後家るん宅出火 【通1-699】
4 寛政1年11月 1789/11 金子直徳、本納寺の三光尊略縁起を撰す 【資3-650~2,櫨楓】
5 寛政1年 1789 麟祥院領駒込村名主甚右衛門、年寄嘉平次 【資2-861】
6 寛政1年 1789 『接木口伝花壇叢木画譜』刊行 【矢野宗幹・染井の種芸家伊藤伊兵衛・実際園芸17-9】
7 寛政初年 1789 綿羊飼付のため、巣鴨庚申塚に御用屋敷設ける 【宝暦現来集】
8 寛政初年頃 1789 姿見橋、蛍の名所として知られる 【通1-750】
9 寛政2年1月 1790/1 鳥羽城主稲垣対馬守、高田氷川神社へ鳥居寄進 【資3-604】
10 寛政2年夏 1790 高田氷川神社拝殿を再営 【新編若葉の梢】
11 寛政2年8月2日 1790/8/2 将軍徳川家斉、雑司が谷で狩 【資3-674】
12 寛政2年9月4日 1790/9/4 将軍徳川家斉、雑司が谷で放鷹。御膳所法明寺 【資3-674,櫨楓】
13 寛政2年11月24日 1790/11/24 本立寺11世戒定院日恵、寂 【櫨楓】
14 寛政3年4月8日 1791/4/8 金子直徳、身延山三光堂前に相輪塔を建立し、この日供養 【新編若葉の梢】
15 寛政3年夏 1791 川上不白、雑司が谷鬼子母神境内の一字一石妙経塔を修復 【櫨楓】
16 寛政3年8月9日 1791/8/9 将軍徳川家斉、雑司が谷で放鷹 【資3-674】
17 寛政3年 1791 田島橋を板橋から土橋に改める(~1792.寛政4年) 【新編若葉の梢】
18 寛政3年 1791 金子直徳、関口芭蕉庵に風羅堂建立 【通1-732】
19 寛政4年1月 1792/1 谷上氏、真性寺所在の庚申塔(青面金剛)を造立 【豊島の庚申塔】
20 寛政4年4月15日 1792/4/15 将軍徳川家斉、雑司が谷御成 【資3-674】
21 寛政4年4月25日 1792/4/25 書家猨山周暁没、墓正法院 【豊島あちらこちら】
22 寛政4年5月 1792/5 中野筋村々石高のうち、下高田村541石374(内、野田文蔵代官所354石479・芳心院領94石135・済松寺領65石048・宗参寺領7石712・蓮華寺領20石) 【資2-534】
23 寛政4年6月3日 1792/6/3 直徳の父金子小平次没(83歳)。本浄寺に葬る 【新編若葉の梢】
24 寛政4年8月16日 1792/8/16 将軍徳川家斉、雑司が谷で放鷹 【資3-674】
25 寛政4年9月12日 1792/9/12 金子直徳亮朝院前の辺(新宿区西早稲田)に移り、棣棠(やまぶき)郷の草庵と称す 【新編若葉の梢】
26 寛政4年9月19日 1792/9/19 将軍徳川家斉、雑司が谷で放鷹 【資3-674】
27 寛政4年 1792 駒込村無宿久五郎、植木の松・そてつを盗んだ罪で、入墨のうえ重たたきの処分となる 【通1-698】
28 寛政4年 1792 下高田村旅宿清右衛門 【資2-431】
29 寛政4年 1792 下高田村野田文蔵代官所名主半兵衛、芳心院領・済松寺領・宗参寺領・蓮華寺領名主六兵衛 【資2-534】
30 寛政4年 1792 江戸町々七分積金高、14番組(小石川・富坂・巣鴨・大塚辺)金350両2分・銀4匁9分5厘8毛、20番組(牛込・早稲田・高田雑司が谷辺)金69両・銀6匁6分5厘5毛 【資3-6~7】
31 寛政4年 1792 将軍徳川家斉、放鷹の節巣鴨村植木屋弥三郎宅へ立寄る 【資3-441】
32 寛政5年2月 1793/2 将軍徳川家斉、駒込村植木屋茂右衛門へ立寄る 【資3-444】
33 寛政5年3月23日 1793/3/23 将軍徳川家斉、高田で放鷹 【資3-674】
34 寛政5年5月 1793/5 採荼庵梅人社中、巣鴨真性寺境内に芭蕉句碑建立。碑銘「しら露もこぼれぬ萩のうねりかな」 【豊島区史跡散歩】
35 寛政5年6月15日 1793/6/15 法明寺32世日宏聖人没 【櫨楓】
36 寛政5年12月 1793/12 面影橋、板橋から土橋に架け替える 【新編若葉の梢】
37 寛政5年 1793 上駒込村百姓兵左衛門店馬持清次郎方居候藤五郎、武家方扶持米積送りの途中米を抜取り酒食にあてた罪で,入墨のうえ敲となる 【御仕置例類集】
38 寛政5年 1793 麟祥院領駒込村名主、甚右衛門 【資2-866】
39 寛政6年6月1日 1794/6/1 本立寺12世慶他院日仁、寂。当代本堂再建成る 【櫨楓】
40 寛政6年9月21日 1794/9/21 将軍徳川家斉、雑司が谷で放鷹 【資3-674】
41 寛政6年10月11日 1794/10/11 将軍徳川家斉、巣鴨で放鷹 【資3-674】
42 寛政6年 1794 高田村(幕領分)村高354石479。うち田15町歩余、畑32町6反歩余。家数124軒、男231人、女214人、馬3疋 【資3-114】
43 寛政7年4月9日 1795/4/9 将軍徳川家斉、高田で狩 【資3-674】
44 寛政7年5月 1795/5 水戸藩拝借の鷹場引替あり、下高田村など11か村、新たに借場となる 【資3-10】
45 寛政7年11月 1795/11 巣鴨町保坂四郎左衛門(11代目)、江戸城本丸御菊御用向を命じられる 【資1-198】
46 寛政7年12月 1795/12 尾張藩侯老年のため、戸山下屋敷近辺の長崎・池袋村ほか5か村を拝借鷹場とする 【資3-10~11】
47 寛政7年12月 1795/12 本立寺の三宝諸尊、再興される。大仏師黒田高山作、施主榊原右京大夫政永朝臣 【櫨楓】
48 寛政7年 1795 重林寺鐘、中興九世快音再鋳 【資3-436】
49 寛政7年 1795 高田四家町家主穀屋藤八、盗米を買取った罪で米取上・代金銭損失となる 【御仕置例類集】
50 寛政8年3月 1796/3 巣鴨町保坂四郎左衛門、江戸城天守台下にて菊を仕立る。また9月休息御庭へ植付ける。のち1799・寛政11年仕立場所三ノ丸へ場所替、1807・文化4年3月2日53間御本花役を命じられる 【資1-198~9】
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