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明治1年9月28日
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1868/9/28
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長崎村元知行所、傍示杭取建や旧主の先納金・年貢の書上などを命じられ、この日知県事山田一太夫役所に請書・書上を提出 【資1-151~7】
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明治1年9月28日
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1868/9/28
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長崎村元知行所分高反別。太田浦次郎分、高255石2846・反別50町5反1畝26ブ 大草雅次郎分、高167石8311・反別35町1反4畝2ブ 木村旧次郎分、高98石537・反別19町8反17ブ 木村春之丞分、高36石234・反別7町5反3畝10ブ 【資1-152~6】
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明治1年9月
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1868/9
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済松寺領高田四家町総人数429人、内男223人・女206人 【資2-479】
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明治1年10月27日
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1868/10/27
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明治天皇、大宮氷川神社参拝の途中巣鴨植木屋内山長太郎方に小休 【通1-522,市史稿】
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明治1年11月3日
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1868/11/3
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諸門通過鑑札を名主に交付する。巣鴨町名主政右衛門他 【市史稿】
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明治1年11月5日
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1868/11/5
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長崎村以外の現豊島区区域内の町村、東京府編入 【地図編下】
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明治1年11月
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1868/11
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天皇の氷川社行幸に際し、東京府内郡村のものへ酒肴がくだされる。池袋村、185軒、酒3樽土器1つ鯣25枚 【市史稿】
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明治1年12月5日
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1868/12/5
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改正掛名主を、同掛廃止に付定世話掛に任命 【市史稿】
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9
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明治1年12月
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1868/12
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名主世話掛を名主世話掛並中より、また世話掛並を名主世話掛手伝中より昇格させて増員し、別に名主中より世話掛手伝(14番組名主政右衛門該当)を任命 【市史稿】
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明治1年12月
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1868/12
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法明寺、神仏分離令にともなう鬼子母神・鷺明神・三十番神・稲荷社の処置について東京府に伺う。東京府、鬼子母神像の装飾除去・三十番神堂・稲荷社の撤去などを指示 【資4-317】
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明治1年
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1868
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下高田村544石262、内大竹佐馬太郎代官所355石439・芳心院領94石136・済松寺領66石975・蓮華寺領20石・宗参寺領7石712。雑司が谷村265石23015、内大竹代官所1石97315・自証院領181石38・伝通院領49石687・芳心院領22石19・法明寺領10石。池袋村607石06785、内松村忠四郎代官所173石483・水野小金次433石58485。長崎村587石4683、内大竹代官所29石5816・太田浦次郎255石2846・大草雅次郎167石8311・木村旧次郎98石537・木~(略)
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明治1年
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1868
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長崎村給々役人惣代、太田浦次郎元知行分名主四郎左衛門・大草雅次郎元知行分名主八郎兵衛・木村旧次郎元知行分名主利兵衛・木村春之丞元知行分名主半左衛門 【資1-152】
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明治1年
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1868
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池袋村年寄甚右衛門、長崎村名主四郎左衛門、雑司が谷村年寄伝五郎、新田堀之内村年寄吉左衛門、済松寺領高田四っ家町名主福次郎 【資2-461、498】
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明治1年
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1868
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三橋帰空(平民)、長崎村に塾を開く(1873年、生徒数男12人、女14人) 【通1-767】
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明治1年
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1868
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今井岩五郎(農民)、上駒込村に塾「梅林堂」を開く(1873年、生徒数男35人、女37人) 【通1-767】
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明治1年
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1868
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大島道別(平民)、下駒込村に塾「水月堂」を開く(1873年、生徒数男10人、女6人) 【通1-767】
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明治1年
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1868
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彰義隊士の首塚、南蔵院に建立 【豊島あちらこちら】
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明治2年2月9日
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1869/2/9
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大宮県設置される。長崎村、大宮県に入る 【地図編下】
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明治2年2月13日
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1869/2/13
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東京府内朱引内外を分つ 【市史稿】
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明治2年2月
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1869/2
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雑司谷村・池袋村・新田堀之内村、東京府洛中となり上板橋宿組合を抜ける 【資2-498】
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明治2年3月10日
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1869/3/10
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名主を廃す。11日中年寄・添年寄を任命する。中年寄、巣鴨町、保坂政右衛門他 【市史稿】
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明治2年3月30日
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1869/3/30
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麟祥院領駒込村町元名主転役につき、その子国太郎名主に任命 【資2-899】
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明治2年4月3日
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1869/4/3
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地方大年寄中年寄を命ずる。中年寄、高田村元名主吉右衛門倅万太郎、雑司が谷村元名主平次左衛門 【市史稿】
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明治2年4月23日
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1869/4/23
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保坂政右衛門、中年寄を免ぜられ、添年寄を申し付けられる 【市史稿】
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明治2年4月29日
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1869/4/29
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長崎村・池袋村ほか16か村、江古田村蓮華寺釣鐘を時の鐘に使用したき旨、品川県役所に願う。6月22日、使用許可につき請書差し出す 【資2-500~1】
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明治2年4月
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1869/4
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御鷹部屋・組屋敷約2万坪、開成所植物地に囲い込まれる 【通1-536】
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明治2年5月8日
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1869/5/8
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郡政方を分けて5区とし、中年寄の支配所を定め、大年寄にこれを総括させる 【地図編下】
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明治2年5月27日
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1869/5/27
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神祇官神仏分離に関し、寺院に安置する諸神の堂宇破却を東京府に申し入れる 【市史稿】
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29
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明治2年5月27日
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1869/5/27
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日吉山王社神官樹下茂国、「悉仏説上附託し、神名を廃し、社殿を改め仏字に改唱せんとする之情慾顕然」として、雑司が谷法明寺などを批判 【農業風土人物誌】
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30
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明治2年5月
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1869/5
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自証院領雑司が谷村組頭文左衛門、開成所植物地の地守役となる 【通1-536】
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31
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明治2年6月
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1869/6
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雑司が谷松浦家下屋敷、開成所用地となる 【通1-536~7】
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明治2年8月20日
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1869/8/20
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太政官布告して、府下邸宅上収地を拓開して桑・茶の栽培を命じる 【市史稿】
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明治2年8月
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1869/8
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府内郡村中市内同様の取扱となった町まちより千住品川宿等への助郷免除の交渉行われ、同月10日免除となる 【市史稿】
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明治2年10月3日
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1869/10/3
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板橋宿駅郷勤方の儀につき、総寄合あり(区内関係村、池袋村・新田堀ノ内村・巣鴨村) 【資2-502~3】
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明治2年11月2日
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1869/11/2
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府下の武家地を東京府管轄とする 【市史稿】
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明治2年
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1869
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雑司が谷村、年寄平次左衛門、組頭安兵衛・文左衛門 【資2-209~12】
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明治2年
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1869
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駒込七軒町、駒込染井町に改称 【地図編下】
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明治2年
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1869
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駒込三軒屋町、駒込松吉町に改称 【地図編下】
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39
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明治2年
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1869
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巣鴨町、真性寺門前を合併 【地図編下】
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40
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明治2年
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1869
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小石川四ツ家町、高田豊川町に改称 【地図編下】
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明治2年
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1869
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樋口良敬(士族)、巣鴨仲町に塾「耕雲舎」を開く(1873年、生徒数男6、女0) 【通1~767】
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明治2年
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1869
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高野喜代松(町人)、千駄木町に塾を開く(1873年、生徒数男21、女7) 【通1-767】
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明治2年
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1869
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浦野庸斎(士族)、雑司が谷村に塾「玩索堂」を開く(1873年、生徒数男18人、女5人) 【通1-767】
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明治3年1月19日
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1870/1/19
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長崎村鉄五郎、尾張藩屋敷掃除鑑札を受け取る 【資2-482】
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明治3年1月23日
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1870/1/23
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染井村念仏講、諸色高値により講銭を従来の2貫500文(寛延以来変わらない)から金1両にあげる 【通1-815】
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明治3年3月14日
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1870/3/14
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朱引内元代官支配地助郷免除につき再確認する 【市史稿】
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明治3年9月
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1870/9
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巣鴨菊の造り物、13か所ほどできる 【資3-694】
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明治3年
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1870
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斎藤芳太郎(農民)、堀之内村に塾を開く(1873年、生徒数男16人、女19人) 【通1-767】
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明治3年
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1870
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坪内と代(士族)、巣鴨1丁目に塾を開く(1873年、生徒数男6人、女10人) 【通1-767】
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明治3年
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1870
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田村孫右衛門(平民)、巣鴨1丁目に塾を開く(1873年、生徒数男21人、女12人) 【通1-767】
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