豊島区の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート
豊島区の学校統合 ~豊島区立小中学校適正化第一次整備計画を振り返って~
齊藤 忠晴
(平成11~14年 学校適正配置課長/17~18年 教育総務課長/22~25年 教育総務部長)1 はじめに
私が学校適正課長として、学校統合を担当したのは、平成11年4月から平成15年3月までの4年間です。当時は、区内児童・生徒の減少が下げ止まらず、1学級の児童数が10名を下回る区立小学校が出現する状況下にありました。
私の職務は、平成9年から動き出した「第一次整備計画」を前任者から引き継ぎ、順次、具体化に取り組むことでした。この計画は、10か年にわたる区立小中学校の統合計画を取りまとめたもので、既に、要小学校と千登世橋中学校という統合校が2校、誕生していました。
第一次整備計画をゼロからレールを敷いて出発させたのは、初代の担当課長である岡田正気さんです。そして、脱線事故を未然に防ぎ、軌道に乗せたのが、2代目の鈴木光一さんです。従って、私は、3代目ということになります。
私が、教育委員会に着任した時は、初代と2代目のお二人とも庶務課長と学務課長とに、それぞれ職務を替えて教育委員会に在籍しておられ、川島教育長を中心に存在感を発揮していました。また、新任の指導室長が、現在の三田教育長という豪華絢爛たる陣容でした。
さて、統合を担当した課長は、複数人存在します。その中で、私に、執筆依頼がきましたのは、当該課長としての在籍期間が4年間と比較的長いという点からだと理解します。
ここでは、第一次整備計画をベースに、当時、私が担当させていただいた学校統合を中心に、書き綴ってみたいと思います。曖昧になりつつある断片的な記憶を掘り起こしての作業ですので、主観的な思いを勝手に綴ることになるかもしれませんが、ご容赦願います。
2 豊島区の学校統合の始まり
豊島区の学校統合は、この「第一次整備計画」を、さらに5年ほど遡り、平成4年4月、「区立小学校の適正規模等に関する審議会答申」が出されたことから始まります。
この答申は、理想とする区立小中学校の規模及び適正配置に関する考え方とともに、具体的に区内小中学校の統合の組み合わせを載せた「学校適正化基本計画」とで構成されていました。私は、この答申が出された当時のことには関知していませんが、統合対象校となった小中学校の地元では、大きな反響または反発を呼んだであろうことは推察できます。母校が無くなるなんて心のふるさとが消失するのに等しいなどと悲嘆する方もおいでになったことと思います。
しかし、答申が地域に示されてからしばらくは、行政から具体的な動きはありませんでした。
答申では、統合校は、新築の校舎を建てることを基本としていました。
一方、当時、学校統合の背景にあった児童数の減少は、親世代である生産者人口の減少とほぼ同義であり、区の人口そのものが減り続けることを意味していました。当然、区税収は、減り続け、新築の校舎を建てるという考えは財政的に重い足かせとなっていたことは容易に想像できます。
ただ、この5年間ほどの空白の時間は、いずれ具体化する学校統合について地元地域が考えを巡らす醸成期間として、役立ったものと感じています。
平成9年1月、第一次整備計画が世に出て、豊島区の学校統合が動きだします。この計画は、答申の考え方を踏襲しつつ、新校舎は、既存校舎の活用も選択肢に加え修正した内容になっていました。
錦の御旗は、「子どもたちが切磋琢磨しあえる、活気のある学校を作るには、複数学級が維持できる規模を確保することが必要である」という考え方です。
3 統合推進協議会の設置
平成11年4月、私が着任したときは、日出小・雑司谷小・高田小の3校による「統合推進協議会」が、既に、立ち上がっていました。
行政手続面から言えば、統合校を誕生させるには、学校設置条例の改正を議会で可決いただくことが必要となります。そのための要件として、統合校の「校名」、「所在地」を特定することが求められます。
豊島区教育委員会では、この校名をはじめ通学路の安全策、統合校舎の改修など、統合に向けての諸課題を検討する組織として「統合推進協議会」を設置することとしました。この協議会の委員は、当該校の校長、副校長、及びPTA会長などの学校関係者、町会長及び民生児童委員などの地域代表から構成されます。
私が、最初に3校の協議会に臨んだ時は、校名選定の話し合いを始めようとするところでした。
3校の歴史を紐解けば、雑司谷小、日出小は、急増する児童の受け皿として、高田小から分離、独立して開校してきた経緯があります。統合するのであれば、旧地名を冠した歴史ある高田小学校に帰すべき、あるいは、校名には、高田の名前は残すべきとの強い要望があると聞いていました。
統合推進協議会では、校名の選定に関して、事前に申し合わせ事項を協議しました。協議の結果、統合して誕生する新校は、過去のしがらみに囚われずに、児童、保護者はもとより、町会をはじめとする様々な地域の方々の思いを一つに結集させ、力強くスタートさせたい。そのためには、既存校の校名は用いずに、新たな校名を考えるべきとの結論に至りました。
投票の結果、3校の統合校の校名候補案は、最後に、一番多くの票を集めた「南池袋小学校」と決定しました。統合校が建つ土地の地名を用いた校名です。分かり易く馴染みやすいとの思いからです。
この時の協議会会長は、互選で、高田小の同窓生代表の方が選出されていました。校名を決めるにあたっては、地元の要望との狭間で大変な葛藤があったことと拝察します。ご負担をおかけしました。
統合校の校名には、既存校の校名は用いないという考え方が、統合ルールに加わることになりました。
4 千川小学校・大成小学校の統合
平成12年1月、千川小と大成小の統合説明会を開催しました。両校の学区域は、豊島区の西側区境に位置し、共に大きな商店街もなく、閑静な住宅地域が区の南北に広がる地域です。当時、千川小では、全校児童数が60名を下回り、区内で最も小規模化が顕著な学校でした。統合は、やむを得ないという認識が既に保護者、地域に定着していた感がありました。
説明会では、通学路の安全確保、新校舎となる大成小校舎の改修内容などについて建設的な意見・要望をいただきました。
これらのご意見等を統合推進協議会に持ち寄り、ご協議いただきました。この協議会会長には、互選で、大成小学校のPTA会長が選出されました。このPTA会長は、電気店を営んでおられ、他方、副会長に選ばれた千川小のPTA会長は建具店を経営されており、仕事柄も相互補完関係にあるお二人でした。両校のPTAが主体となる交流会なども行われ、統合に向けて至極円滑に準備を進めていただきました。
平成12年10月の統合推進協議会で、統合校の校名候補案は、「さくら」と決まりました。両校の学区域をかつて千川上水が流れていて、その堤に植えられた桜並木が見事な花を咲かせていたことに因み命名されました。
学校も保護者も地域も関係者すべてが、統合に向けて子どもたちをしっかり支えていこうという思いに満ち溢れていました。
穏やかな雰囲気の中で、統合担当者としてこの場に参画できる幸せをかみしめる一方、時習小と大塚台小の地域関係者との接触で得られた感触が私の心に重くのしかかっていました。
5 時習小学校・大塚台小学校の統合
時習小は、当時、創立100年を迎え、巣鴨地区で一番古い歴史をもつ学校でした。また、卒業生は、論語に由来をもつ「時習」の校名に強い誇りと愛着をもち、周辺地域に住まい続ける方が多数おいでになりました。
話は少し遡りますが、平成11年の後半あたりから、両校の学区域の同窓生代表、町会長など、両校と繋がりの濃い方々とお話する機会を順次もたせていただきました。大塚台小側では、時習小側での統合に対する合意形成を静かに見守るという立場を確認できました。
一方、時習小側では、当該学区域内に、高層マンションの建設が相次いでおり、統合については時期を先送りすること、仮に統合することになっても時習の名は残すことなど要望をいただきました。児童数が本当に増加することが見込めるのか、不安を胸に、早速、調査にあたりました。
平成12年、時習小の学区域に240戸規模のマンションが建ちました。区内平均では、20名~30名くらいの児童の増加が見込まれるところでしたが、当該マンションへ入居した児童は8名に留まりました。過去を調べてみても、当時の時習小周辺の地域では、ファミリー世帯の転入割合が特段、低い状況が続いていました。
平成13年11月の統合説明会では、児童数の増加は見込めないこと、その代わり、学校統合して活気のある教育環境を子どもたちに提供したい旨、繰り返し説明させていただきました。結果、議会に陳情は出されましたが、私自身は、子どもたちにとって学校統合は必要な教育的取組みだという考え方が、理屈ではなく、確信に変わりつつある頃だったことを思い起こします。この間、区内で誕生した統合校は、何処もみな活気にあふれていました。
一方、時習という校名を残せるかについては、最後まで判断が持ち越されました。大塚台小側からも「時習」を残すことに理解を示す声があり、私も、統合ルールを一時、棚上げし、意見収集に努めていました。ただし、行政は、常に両校に対して公平な立場でいることを忘れるなと釘を刺されたことも痛く記憶に残っています。
平成14年5月、両校の統合推進協議会で、統合校の校名候補を決める投票が行われました。結果、最後に多数票を得た「朋有」と決まりました。当時の大塚台小の校長先生からご提案いただいた校名で、その語源は、時習と同じ、論語から導き出されたものです。「朋(とも)遠方より来(きた)る有り」、同じ学問に志す人間は、どこからでも集まって学び合う、統合校にふさわしい校名だと協議会委員の多くの方から賛同を集めました。
ただ、最後まで、時習小の校名が残ると信じていた方々には、ショックであったかと思います。協議会が終了し会場を後にするとき、時習小側の委員の方の目に涙が滲む姿が記憶に残ります。ご負担をおかけしました。
平成14年6月議会で、平成15年4月付で、朋有小学校を設置することが可決されました。
6 大明小学校・池袋第五小学校の統合
次に、大明・池袋第五小の統合についても記述したいと思います。
平成13年12月、時習・大塚台小の統合説明会からひと月遅れで、大明・池袋第五小の統合説明会が開催されました。70名近い参加者で会場は満席となり、険悪な雰囲気の中での開催でした。
小規模校でも良いので、大明小を残したいと願う地域の思いは、時習小の地域と相通じるものがありました。
この時、豊島区の教育長は、二ノ宮教育長に代わっています。23区初の女性教育長として脚光を浴びる中、この説明会にもご出席いただき地域の思いを真正面から受け止めていただきました。説明会の最後に、二ノ宮教育長から、統合計画は、子どもたちにより良い教育環境を提供するものであり、皆さんの心配する声に耳を傾けながら慎重に計画を進めていきますと、宣言していただきました。
また、この学校説明会を開催した頃かと記憶していますが、教育指導室の三田室長からも、文書をつくっていただきました。統合校には、指導力のある先生を配置し、子どもたちが夢を持てる、地域が誇れる伝統校にすることをお約束するという内容だったかと記憶しています。この約束手形は、その後、大明・池袋第五小の個別説明会で参加者に配付し、統合に対する不安や不信感を和らげ、理解を深めることに役立たせていただきました。
豊島区教育委員会が一丸となり学校統合に取り組む姿勢がより鮮明になったことを思い出します。
私は、大明・池袋第五小の統合推進協議会を設置したところで、平成15年4月、教育委員会を異動となり、後任を天貝勝己さんに引き継ぐことになりました。
7 おわりに
ここまで、小学校の統合について述懐してきましたが、第一次整備計画は、平成13年9月に改訂版を出しています。主な見直しの内容は、当初の計画の最後に予定していた千早・第十中の統合に長崎中を加え3中による統合計画にしたことと、真和・道和中の統合計画を新たに加えたことの2点でした。生徒数が想定を超えて減少したための見直しですが、ここでは、紙面の都合で詳細は省かせていただきます。
ただ、小学校の統合との異なる点を記述するとすれば、中学生には高校受験という目標があります。突然、受験生の眼前に在籍校が統合するという情報が現れることがないよう統合時期には配慮させていただきました。
さて、第一次整備計画は、4代目の天貝さんのご尽力もあって、最後に長崎中学校が統合された「明豊中学校」の校舎改修工事が完了し、移転が無事済んだ平成18年度をもって完了となりました。
その後、平成20年7月に、豊島区教育委員会では、池袋第二小と文成小の統合を内容とする第二次整備計画を策定し、後に、池袋中を加え、区内初の小中一貫連携校として見直しを行っています。詳細につきましては、担当課長であった5代目兒玉辰哉さんにお譲りし、私は、これで筆をおきます。
学校統合に関わっていただいた校長・副校長先生はじめ教員の皆様、統合推進協議会の委員の皆様には、本当にお世話になりました。
関連年表
平成4年 | 4月22日 | 豊島区立学校の適正規模等に関する審議会「豊島区立小中学校の適正規模及び適正配置について」(答申)提出 |
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平成9年 | 1月 | 「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」策定 |
平成11年 | 4月1日 | 要小学校(要町・平和小統合)と千登世橋中学校(高田・雑司谷中統合)開校 |
平成13年 | 4月1日 | 南池袋小学校(雑司谷・高田・日出小統合)と巣鴨北中学校(朝日・大塚中統合)開校 |
9月 | 「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」改定 | |
平成14年 | 3月17日 | 千登世橋中学校新校舎落成 |
4月1日 | さくら小学校(千川・大成小統合)開校 | |
平成15年 | 4月1日 | 朋有小学校(時習・大塚台小統合)開校 |
平成16年 | 4月1日 | 明豊中学校(第十・千早中統合)開校 |
4月4日 | 南池袋小学校新校舎落成 | |
平成17年 | 4月1日 | 池袋小学校(大明・池袋第五小統合)と西池袋中学校(道和・真和中統合)開校 |
平成18年 | 3月19日 | 明豊中学校新校舎落成 |
4月1日 | 明豊中学校に長崎中も統合 | |
平成20年 | 7月 | 「豊島区立小・中学校の適正化第二次整備計画」、「豊島区立小・中学校改築計画」策定 |
平成24年 | 8月26日 | 西池袋中学校新校舎竣工 |
平成26年 | 4月1日 | 池袋本町小学校(池袋第二・文成小統合)開校 |
平成28年 | 6月30日 | 池袋本町地区校舎併設型小中連携校竣工 |