豊島の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート
新庁舎完成までの歩み マンション一体型新庁舎を財政負担ゼロで建設
建設基金ゼロからの逆転の発想-市街地再開発事業の枠組みを活用し、新たな財政負担ゼロで整備した全国初の「マンション一体型庁舎」。公民連携による整備手法とともに、防災・環境・文化・区民サービス等の機能面でも、最先端の技術と知恵が結集された新庁舎の全貌をご紹介。(更新日:2018年7月20日)
文化芸術創造都市への挑戦 ≪その1≫
「文化の力」でまちの未来を切り拓こうとの区長の強い信念によりスタートした「文化によるまちづくり」。その第一ラウンドは、区制施行70周年を契機とする区民主体の様々な文化活動と、区の文化政策の方向性を決定づけた「文化政策懇話会」の提言だった。(更新日:2018年7月20日)
文化芸術創造都市への挑戦 ≪その2≫
奇跡の場所《にしすがも創造舎》の12年
閉校施設を活用した新たな文化創造拠点として2004年に誕生した「にしすがも創造舎」。2016年にフィナーレを迎えるまでの12年間の「軌跡」と、NPOとの協働により様々なプロジェクトを実現してきた「奇跡」を振り返る。 (更新日:2023年3月20日)
『監視のルール』池袋本町オウム対策協議会
静かな街に突然に降ってわいたオウム本部道場移転騒動。移転阻止のための住民たちによる連日の監視活動は2か月にわたった。その間、誰からともなく共有された「監視のルール」は、住民たちの「連帯の証」であり、一人ひとりの人間としてのオウム信者に向けた「メッセージ」でもあった。(更新日:2018年7月20日)
私が見た「池袋場外車券売場問題」
平成12年の設置計画から19年の反対連絡協議会解散まで、実に7年の歳月をかけて展開された池袋東口場外車券売設置反対運動。幅広い区民を巻き込んだその活動のはじまりは、自分たちのまちを守るために声をあげた女性たちだった。(更新日:2018年7月20日)
木密地域不燃化事業 ~東池袋4・5丁目地区のまちづくり~
木造密集地域の改善は、地域住民全体の理解を得るために、時間をかけてゆっくりと進められる。市街地再開発事業や都市計画道路の整備をきっかけに、不燃化が促進された東池袋4・5丁目地区のケースを通じ、区民参加のまちづくりのあり方を考える。(更新日:2018年7月20日)
東日本大震災 ~豊島区が大揺れに揺れた一日~
平成23年3月11日、東北地方に未曾有の被害をもたらした東日本大震災。その影響は首都圏に及び、帰宅困難者対策など、区の震災対策の抜本的な見直しにつながっている。そして、東日本大震災の最大のレガシーは、被災地に思いを寄せる人々の支援の輪。「震災を風化させない」という心の灯りをともし続ける仲間たちとの活動は今も続く…(更新日:2019年2月1日)
清掃事業の移管と豊島清掃工場建設
平成12年の都区制度改革により都から区へ移管された事務の中でも、最もハードルが高かった清掃事業。その準備段階での清掃局派遣にはじまり、清掃工場建設に反対する地元住民との粘り強い調整や清掃一部事務組合の設立、移管実現に向けた膨大な仕事に走り回った日々を振り返る。(更新日:2019年2月1日)
高密都市ならではの地域課題の解決に課税自主権を活用
放置自転車とワンルームマンション…地域特有のふたつの課題を解決するため、課税自主権の活用により打ち出された新税構想。構想から条例化、創設に至る間に、区、議会、納税義務者、そして国(総務省)がどのように動いたか、徹底した情報公開と全国からの注目の下で展開された新税導入のドラマを辿る。(更新日:2018年7月20日)
「地域区民ひろば」はいかにして誕生したのか
危機的な区財政の再建に向け、平成15年10月に公表した「公共施設の再構築案」の大きな柱であった「地域区民ひろば」構想。ことぶきの家、児童館等の既存施設を小学校区単位に再編し、将来的に区民の自主運営に委ねていくというこの構想が、どのような背景の中から生まれ、どのように具体化されていったのか…その端緒となった保育園廃園問題から地域区民ひろばモデル実施にいたる10年の歳月をたどる。(更新日:2019年11月1日)
豊島区の学校統合 ~豊島区立小中学校適正化第一次整備計画を振り返って~
少子化により児童・生徒数が減少し続ける中で、一定の学校規模を確保していくために、平成9年1月、「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」を策定。この計画に基づき、18年度までに区立小学校11校が5校に、中学校9校が4校に統合された。統合推進協議会を中心に、住民との対話を重ねていく中で地域の合意形成を図っていったプロセスをたどる。(更新日:2019年11月1日)
あの『エポック10(テン)』の時代
平成4年6月、新築なった池袋駅ビル10階にオープンしたエポック10(男女平等推進センター)。その誕生から平成17年の移転にいたる10数年の歳月。女も男も、誰もがそれぞれに輝ける社会の実現をめざす拠点として、また、その名に込められた新たな時代を拓く舞台として、多くの人がつながり、さまざまな想いが重なりあった濃く熱い日々を振り返る。(更新日:2020年9月1日)