平面作品(戦後~現代)
日本画・洋画のジャンルを越えた多様な表現が見どころです。独自の世界観をあらわした幻想絵画をはじめ、新たな素材や技法を用いて平面作品の可能性を探求した抽象作品などを紹介します。
(*郷土作家でも上記のうち後者に該当する平面作品はこちらに掲載しました。)
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画像 | タイトル | 作者名 | 制作年 | 解説 |
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民話より | 芥川紗織 | 1954 | 染色の技法を用いて日本の民話や神話を大胆にあらわした芥川紗織。緑と赤で染め上げられた本作では、画面一杯に大きなハサミを振り上げた蟹の姿があらわされている。どのような民話か不明だが、効果線や目玉の表現などから、何かただならない出来事が起きているようだ。 | |
作品 | 浅野弥衛 | 1973 | 浅野弥衛の手がける作品はモノクロームの抽象画が多い。本作のような軽快な線があらわれたのは1957年頃からで、白地にクギ・キリ・鉄筆・針などで画面を引っかき、上から黒い絵の具を塗り、布でふき取るという手順で描かれている。手作業のぬくもりが浅野独自のマチエールを生み出している。 | |
東浜田地質調査16-1 | 味岡伸太郎 | 1994 | 味岡伸太郎は土や石、木、金属などさまざまな素材を用いた造形作家。なかでも土への取り組みは、盛り土を床に置いたインスタレーションから平面、焼き物など、多様な広がりを見せる。豊橋市と田原市の境界辺りの土を採取した本作は、土を平面に配した最初期の作品。作為を持ち込まず、地層の順列をそのままに提示している。 | |
憂婆羅の街 | 大島哲以 | 1968 | 霞(あるいは噴煙)がたちこめる街並みを俯瞰した本作は、近世の風俗図を思わせる。画面の中では薔薇頭の女たちが頭の無い男を相手に無邪気で残酷な遊びに興じている。ウバラとはイバラのこと。この後、ウィーンに留学した大島は、こうした幻想的な傾向をより強めていった。 | |
薔薇刑 | 大島哲以 | 1969 | 幻想的な作風で知られる大島哲以の作品には、しばしば花や鳥の頭部を持つ人物が登場する。本作の主役はリュートを奏でる青薔薇の女性。周囲を取り巻くイバラに裸婦や蛇、花綱を配し、苦痛と快楽、耽美とグロテスクが渾然となった世界を構成している。 | |
RED NO.23 | 大野俶嵩 | 1963 | パンリアル美術協会の会員であった大野俶嵩は、1958年よりドンゴロス(麻袋)をコラージュした作品を発表した。絵画のみならず、平面性すら逸脱するスタイルは、当時の美術潮流と無縁ではないが、そこに大野は日本画の顔料を持ち込み、異質な素材を対比させている。物質と絵画(日本画)の問題を突き詰めた作品。 | |
むこカラスと嫁ふくろ | 岡田 徹 | 1975 | 戦前から名古屋で前衛活動を行った岡田徹は、1970年代より擬人化したカラスが登場する幻想世界をあらわした。ホオズキの提灯に先導されるフクロウの嫁入り行列を描いた本作は、民話の一場面を思わせるが、新郎のカラスは頭蓋骨を踏みしめ、画面からこちらを威嚇するように睨みつけるなど、不穏な空気が漂っている。 | |
室内(観葉植物のある) | 笠井誠一 | 1986 | 1970年代より褐色の輪郭線で対象を際だたせる画風を確立した笠井誠一は、身辺の器物や室内空間を好んで描いた。画家のアトリエを描いた本作では、テーブルの白い半円、緑の葉の連なり、イーゼルや額縁の直線といった色形が響き合い、黄色とグレーを基調とする背景の中で心地よい調和をみせている。 | |
鋼鉄による作品 長い手紙-3 | 久野 真 | 1988 | 1958年頃より金属による平面造形に取り組み始めた久野真は、60年代半ばからステンレスを素材に用いた。下地の黒色が絵画性を添える本作は、「長い手紙」という通り、他のバリエーションがあり、個展では0から4までが発表された。リズミカルに連なる曲線や形象に託して、さまざまな想いが綴られているようにも感じられる。 | |
梅雨の頃 | 斎藤真一 | 1971 | 1961年、津軽に旅した斎藤は盲目の旅芸人・瞽女(ごぜ)たちの存在を知り、翌年より一連の制作を始めた。本作では青白い光に照らされて、ひとり髪を洗う半裸の瞽女が描かれている。周囲の赤い縁取りにも髪を結った瞽女の顔が描き込まれているが、彼女たちはこの瞽女の想いを哀調込めて唄っているのかもしれない。 | |
花の雲 | 佐熊桂一郎 | 1972 | 人人(ひとひと)会創立メンバーの佐熊桂一郎は、一貫して奇妙な女性像を描き続けてきた。本作では満月を背にしたシンメトリックな三尊形式であるため、仏画あるいは禿(かむろ)を従えた花魁(おいらん)のようにも見える。聖と俗、幼と老、可愛らしさと奇怪さなど、相反する要素を兼ね備えたその姿は、怖ろしくもどこか懐かしい。 | |
ヨシコの赤ちゃん | 佐々木 豊 | 1969 | 官能的な女性たちを描くことで知られる佐々木豊。ここでは緑の卓にピンクのストッキングをつけた裸婦が横たわり、大きく膨らんだ腹部に得体の知れないものが息づいている。妻の妊娠を知った作者の心情を反映しているという。腹部をめがけて降下する緑の蛇は受胎を、胎児を恐々のぞきこむ黒い影は作者自身だろう。 | |
水芭蕉曼陀羅・白68 | 佐藤多持 | 1983 | 真言宗の寺に生まれた佐藤多持は、1948年に尾瀬で「仏の光背」とも呼ばれる水芭蕉の群生を目の当たりにし、後にライフワークとなる水芭蕉シリーズを開始する。ただ一度目にした印象を心にとどめ、50年にわたって描くうち、その形態は抽象化され、のびやかな曲線と宇宙を想起させる壮大なスケールへと発展した。 | |
マイタウン・タカミネ | 島田章三 | 1990 | 国画会を活動拠点とした島田章三は、キュビスムを「日本人の言葉(造形)で翻訳してみたい」とし、「かたちびと」と称する人体のフォルムで画面を構成するスタイルを確立した。作家の暮らした名古屋市昭和区高峯町を描いた本作では、幾何学的な街路にヘリコプターや赤い車、女性たちを配することで活気と華やかさを添えている。 | |
27のパターン(部分) | 下村良之介 | 1963 | 活動初期から鳥を主題に制作を行った下村良之介は、1959年に紙粘土と和紙で形象をモデリングする独自の様式に移行した。さまざまな文様が刻印されたレリーフ状の画面は、鳥類の化石や遺跡の壁面装飾を思わせる。本作は27枚連作の5枚部分。よく見ると、クチバシを上に尾羽を下にした鳥たちの姿が浮かび上がってくる。 | |
ぼくたちの踊る踊り | 田島征三 | 1977 | このオバケのような生き物をよく見ると、人間の顔だけでなく、ヤギやニワトリの頭、蹄と脚が重なっていることがわかる。絵本作家として知られる田島征三は、1969年からニワトリやヤギを飼って自給自足の生活を始めたという。ここでは大地の上で共に生きる動物や家族のスピリットが作者の内に宿り、踊り出す様子が描かれている。 | |
オペラグラス1 | 中村 宏 | 1966 | 機関車と女学生は中村宏のシンボル的な存在である。本作品ではキャンバスそのものを劇場空間に見立て、レンズが沈没しかかっている日章旗を掲げた船の絶体絶命の一瞬をクローズアップしている(連作の2は機関車に追われる女学生が主題)。船上のセーラー服の女学生をレンズ越しに覗き見ると、妖怪のような形相があらわれる。 | |
窓 | 平賀 敬 | 1968 | 1964年を起点とする「窓」シリーズは「形は一緒なのに中では全然関係ないことやってる」夏の開け放たれた公団住宅の窓に想を得ている。当初は白地に引っかいたような線描を主体としたが、渡仏してパリに暮らすうちに鮮明な色彩が加わり、本作のようなエロティックでユーモアあふれる表現となった。 | |
土−路生 | 平松礼二 | 1980 | 青龍社で横山操を目標に画家として歩み始めた平松礼二は、1977年から「路」の連作を開始し、創画会賞を受賞した。当初の「路」は韓国で眼にしたという土饅頭(土を盛り上げた墓)のある里山の風景から出発した。本作にも林間にそれらがみえるが、冬枯れの暗い夜道はうっすらと明るく、夜明けが近いことを感じさせる。 | |
路・波の国から | 平松礼二 | 1992 | 平松礼二の「路」シリーズは、しだいに鮮やかな色彩が配され、装飾的な傾向を帯びるようになった。様式の完成期にあたる本作では、田園風景に赤やピンクの花が咲き乱れ、空には満月がかかるという夢幻的な光景が広がっている。タイトルの「波の国」は童謡「浜千鳥」の歌詞に由来し、イメージの源泉となった。 | |
灸点輪廻・黄土 | 三上 誠 | 1966 | パンリアル美術協会の中心的存在であった三上誠は、結核のため郷里福井に戻り、人体器官を思わせるモチーフを鋭い線で描くようになった。やがて西洋医学への不信感から、経絡や灸点を配した人体マンダラを形成する。ここでは子宮を思わせる円相を中心に、幾層もの円を配することで、東洋的な輪廻のイメージも反映している。 | |
アパート | 八島正明 | 1977 | 独学で絵画を学んだ八島正明は、木綿針でモノクロームの画面を引っかいて陰影を表わす手法で情景を描き出している。そこには実態のない影だけが残され、古い建物に染み込んだ記憶が現出したような印象である。八島が独身時代に暮らした木造アパートを描いた本作では、廊下に映る影は懐かしい母の姿であるという。 | |
夢想家の部屋 | 藪野 健 | 1977 | 建築家を志した藪野健は、スペイン留学が契機となり、戦争で破壊される前の1930年代の街並を描くようになった。本作でもバルコニーの向こうに古い建造物が見えるが、路面電車やそこに暮らした人々の姿もある。手前は空想建築の模型が並ぶアトリエといった風情。画面上部は建築家が夢想し生み出した光景と言えるだろう。 | |
海を渡る捕虜服 | 山下菊二 | 1968 | 戦前より福沢一郎の研究所に学び、シュルレアリスムの影響を受けた山下菊二は、凄絶な兵役体験から戦後は反戦姿勢を打ち出した作品を手がけるようになった。ベトナム戦争に触発された本作品では、アウシュビッツ強制収容所とベトナム戦争の捕虜服が交わり、ガスマスクなどのイメージを加えて奇怪な人型を形成している。 |